『ル・モンド』紙の風刺画家
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「プランチュ」の記事における「『ル・モンド』紙の風刺画家」の解説
政治に深い関心を寄せ、専ら政治風刺画を描くようになったが、経済的な問題があったためフランスに戻り、1972年に『ル・モンド』紙に初めて自作を掲載した。この風刺画はベトナム戦争に関するものだった。 1985年からは毎日『ル・モンド』紙に風刺画を掲載し、1980年から86年にかけては、若者向けの雑誌『フォスフォール (Phosphore)』にも掲載した。さらに1991年から『レクスプレス(フランス語版)』でも週1回のコラムを担当した。 1987年にはテレビ局TF1のミシェル・ポラック(フランス語版)の番組『反論権(フランス語版)』(放映期間:1981~1987年)にも出演した。これは即興で風刺画を書いてスクリーンに映し出すもので、『シャルリー・エブド』のシネ (モーリス・シネ)(フランス語版)、ジョルジュ・ウォランスキ、カビュ、シャルブなども出演し、やがて彼らと一緒に1992年に再開した『シャルリー・エブド』に加わることになった。
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