公金横領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 02:03 UTC 版)
1876年(明治9年)以来、大蔵省の海外荷為替資金、海軍省・文部省の留学生費・予備金などを私的に引き出し、公使館のフランス人職員や病気の酒屋、トルコ人法学生などに金を貸し、自身の交際費などにも流用していた。在イギリス領事館へ送金を命じられた際、預金が不足したため、これを補填するため砂糖相場に投機して失敗すると、1882年(明治15年)4月23日に遺書を遺して失踪し、6月3日に懲戒免職となった。貫一は自殺を試みるもフランス人に制止され、ジュネーブ近辺に潜伏した後、1883年(明治16年)8月パリに戻り、公使館書記生大山綱介に自首し、10月東京軽罪裁判所に護送された。 1884年(明治17年)4月10日、監守自盜罪で軽懲役7年を言い渡され、警視庁監獄石川島分署に収監された。1888年(明治21年)8月16日、模範囚として仮出獄し、麹町区の妻の実家武藤本全方で特別監視を受けた。 1890年(明治23年)1月19日、横浜海岸教会に転入会したが、フランス駐在時代にキリスト教徒の行いを実見してキリスト教への幻想は薄れており、この後仏教に転向した。 元視察団上役高崎正風の仲介で下田歌子にフランス語を教え、1893年(明治26年)にその欧州への女子教育視察旅行に同行した。
※この「公金横領」の解説は、「鈴木貫一」の解説の一部です。
「公金横領」を含む「鈴木貫一」の記事については、「鈴木貫一」の概要を参照ください。
「公金横領」の例文・使い方・用例・文例
- 公金横領
- 公金横領のページへのリンク