ベン=アリー政権関係者の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 18:40 UTC 版)
「ジャスミン革命」の記事における「ベン=アリー政権関係者の処遇」の解説
ベン=アリー大統領は、旧宗主国のフランスへの亡命を希望しパリに向かったが、ニコラ・サルコジ大統領がベン・アリー大統領の入国を拒否した。そこでサウジアラビアへ向かい、そこへ亡命した。脱出の際、ベン=アリー大統領の妻が中央銀行から1.5トンもの金塊を持ち出したと報じられた。一部の親族は乗り込んだ飛行機の機長に離陸を拒否され、拘束された。暫定政権は早い段階でベン=アリー前政権の関係者の身柄拘束に乗り出し、16日ごろにはすでにカシム前内務大臣など政権幹部の多くが拘束されたとの情報も流れた。 ベン=アリー前大統領が去ったあとの親族の豪邸では暴徒が略奪行為に走り、1月16日には大統領宮殿で銃撃戦も発生。1月26日には暫定政権がベン=アリー前大統領ら一族の逮捕状を請求し、国際刑事警察機構を通じて国際指名手配した。 ベン=アリー前大統領はサウジアラビア亡命後、前政権時代の公金横領、土地不正取得、暴力扇動、麻薬密売といった容疑、また一連の反政府運動においてデモ鎮圧を軍に命じ参加者を多数死亡させた容疑などで起訴され、本人不在のまま軍事法廷が開かれた。暴力扇動では懲役20年、公金横領では懲役35年が言い渡されるなど、合計で65年もの懲役刑が下っている。また殺害容疑に関しては死刑が求刑され、2012年6月13日に終身刑判決が言い渡されている。しかし、サウジアラビアがベン=アリー前大統領の身柄引き渡しに応じる可能性は低く、実際に刑が執行されることはないと推測されている。カシム内務大臣などにも懲役15年の刑が下っている一方、主要閣僚の多くが公訴棄却となっている。
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