訴訟と回想記
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「ソロモン・ノーサップ」の記事における「訴訟と回想記」の解説
ノーサップは、奴隷として売られた後生還した数少ない自由黒人となった。弁護士を代表し、オハイオ州選出の上院議員だったサーモン・チェイス、オーヴィル・クラーク(英語版)将官、ヘンリー・B・ノーサップ、これに加えてソロモン本人が原告となり、バーチや、ワシントンで彼の誘拐に関わった人物を訴えた。ソロモンとヘンリーはニューヨークに戻る途中でワシントンD.C.に立ち寄り、警察判事にバーチを訴える法的申し立てを提出した。バーチはすぐに逮捕・起訴されたが、ノーサップは黒人が法廷で証言できないというワシントンD.C.の法律に阻まれた。バーチのほか奴隷貿易に関わった人物は、ノーサップの方から、ジョージア州から来たので売りに出してほしいと彼らに近付いてきた、と証言した。一方でバーチの取引台帳には、ノーサップの買い上げについて何の記録も残っていなかった。起訴はヘンリー・B・ノーサップや、長年ソロモンと知り合いだった白人たちが行い、彼らは「ソロモン・ノーサップはニューヨークで自由黒人として生まれ、誘拐されるまでその地位を保っていた」と証言した。バーチの話に法的に抗弁できる人物はおらず、結局バーチは無罪となった。この裁判の一方で、衝撃的な事件は国民の関心を引き、ノーサップの救出からわずか2週間後の1853年1月20日には、『ニューヨーク・タイムズ』へ裁判に関する記事が掲載されたほどだった。 無罪判決が下った後、バーチはノーサップを相手取り、不当にジョージア州出身の奴隷と偽って買い取り代金625ドルを騙し取ったとして訴えを起こした。ノーサップは自分の話の正当性を熱心に主張し、次の裁判を催促した。結局バーチは、ノーサップの抗議と弁護士の助言を受け、この訴えを取り下げた。ノーサップ自身は、バーチの訴えが彼の心証を悪くしようとしているだけだと知っていた。ノーサップが本当に「ジョージア州から来た奴隷」だと言っていたならば、解放から数日後に司法に訴え、バーチとの訴訟を起こして自分の自由を脅かすことは全く意味の無いことである。ノーサップは、サーカスの芸人だと称していたブラウンとハミルトンも訴えようとしたが、彼らが伝えたのは偽名であり、行方が分からずじまいだった。 その後、同年中にノーサップは回想記である『12イヤーズ・ア・スレイヴ(英語版)』Twelve Years a Slave(1853年)を出版した。本は地元のライター・ジャーナリストだったデイヴィッド・ウィルソン(英: David Wilson)の助けを受け、3ヶ月かけて書き上げられ、その後ニューヨーク州オーバーンのダービー&ミラー (Derby & Miller) から出版された。当時は奴隷制度に疑問が投げかけられ、ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』(1852年)がベストセラーになっていた頃で、ノーサップの本の売り上げもも3年で3万部に達しベストセラーとなった。 本が出版された後、ニューヨーク州フォンダ(英語版)近くに住む郡判事のサディアス・セント・ジョン(英: Thaddeus St. John)は、1841年のウィリアム・ハリソン大統領の葬儀の時期に、黒人と共にワシントンD.C.を旅していたアレクサンダー・メリルとジョゼフ・ラッセルという2人の友人を思い出した。セント・ジョンはワシントンから戻って彼らと再会したが、その時には黒人は同行していなかった。彼らはかなり高額で新しいものを身に着けたり運んだりしており、セント・ジョンは最初の旅の最中奇妙な会話があったことも思い出した。彼らは黒人と同行していた時、セント・ジョンが知るメリルとラッセルという名前ではなく、ブラウンとハミルトンと呼ばれていた。セント・ジョンは当局に連絡してノーサップと面会し、1841年の列車の中で初対面したことを確認した。この身元確認が元になり、メリルとラッセルは居場所を突き止められて逮捕された。 ニューヨークでの裁判は、ノーサップとセント・ジョンを原告として1854年10月4日に始まった。この裁判では、国内の奴隷貿易における多数の不法行為が明るみに出された上、証拠を積み重ねてノーサップの経験に関する証言が裏付けられた。弁護人たちは、犯罪が行われたのがニューヨークであれワシントンであれ、ニューヨークの裁判所の司法管轄権の外にあると主張した。2年間の法廷闘争の末、ニューヨークの新しい州検察官は裁判を続行できないとし、1857年5月に閉廷した。ワシントンD.C.では訴えが却下され、ノーサップを奴隷にしたメリルとラッセルには、これ以上法の咎めが言い渡されることは無かった。
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