設計と組み立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 03:45 UTC 版)
「ボブ・センプル戦車」の記事における「設計と組み立て」の解説
ニュージーランドや隣国オーストラリアには国産の装甲戦闘車両を作る工場がなかった。期待されたことは、イギリスから装甲戦闘車両が供給されることだった。オーストラリアとニュージーランドでは数社の重工業を発展させており、装甲板や装甲車両などの生産に転用できたが、それもわずかであった。ニュージーランド陸軍の機械化というアイデアが戦前に提案されていたものの、さしたる進捗はなかった。アメリカのディストン製6トントラクター戦車が推奨された。これはキャタピラー・モデル35シャーシの上に装甲化された戦闘室を設けたもので、アフガニスタンに輸出された1937年製の車両である。 ニュージーランドではにわか仕立ての装甲トラックを少数生産したことがあり、オーストラリアから装軌式の輸送車を手に入れられないことから、装甲板をオーストラリアから輸入し、車両を自国生産することとした。1940年の中ごろにフランスが失陥した後には大半のイギリス軍の戦車が失われる事態が起き、ニュージーランドにまで割り当てる生産車の可能性はほぼなくなった。装甲を施した上部構造をアメリカから手に入れるよりは、ニュージーランドが自国の資源と施設を用いて生産できるものと思われた。 「トラクター戦車」が妥当な設計であると決められた。もし防衛の必要性が生じたら、数時間かけて大型の上部構造をトラクターの上にボルト付けすることで速やかな準備を可能とし、戦車を配備できたためである。 最初の軟鉄製の試作車両が、キャタピラーD8装軌トラクターを用いて作られた。この型はすでに利用の準備が整えられていた。公共事業庁では81両のD8を備え、さらに別に19両が利用可能だった。兵装の不足により、6挺のブレン軽機関銃が備えられた。1挺ずつが両側面に、2挺が前面に、1挺が銃塔に、そして1挺が後方に取り付けられた。この車両は3.5mと極めて背が高く、そして性能は貧弱だった。装甲板が不足していたためにマンガンをくわえた波型鋼板が使われ、銃弾をはじけるものと期待された。乗員は8名で、1名の銃手は持ち場のブレン軽機関銃を操作するため。エンジン上部のマットレスの上に寝転がらなければならなかった。 この戦車は、公式な計画や設計図が存在することなく組み立てられている。つまりアメリカから送付されたポストカードの絵に基づいてトラクターからトラクター戦車への転換が行われていた。ボブ・センプルとTGベック(クライストチャーチ地区の工場技師)はこの戦車のデザインを即興で仕立て上げた。公共事業省の大臣ボブ・センプルにまかなえた資材を使い、最初の戦車がテムカにある公共事業省の工場で速やかに完成した。NZRアディントン工場ではさらに追加で2両が作られた。最初の費用は£5,902であり、第二・第三の費用は込みで£4,323であった。総コストは£10,225である。ただし陸軍は£3,414だけしか請求しなかった。 運用方法は、日本軍の侵攻に備え、準備地点に上部構造を分散させておくことだった。侵攻の段階で、これらは使用のためにトラクターに取り付けられる。戦車が大衆からの嘲笑を呼び寄せたのち、このアイデアは放棄された。しかし、ボブ・センプルは自分の設計を支持し、「私は誰であれもっとマシなアイデアを考え付いたのを見たことがない」とさえ述べている[出典無効]。
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