西部アフリカ共同連合 (West African States Community Union)
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「アフリカ紛争」の記事における「西部アフリカ共同連合 (West African States Community Union)」の解説
ナイジェリア、ガーナ等西南部地域が統合した組織。旧国境は現行地図と重ならない。首都はアブジャ。WA地域は暫定的に設置され、後定着した共同体の中でも、発足当時から構造的欠陥(実権の整理統合が未分化)が指摘されており、以下の組織ギニアナによる政権奪取を許してしまうことになる。 ギニアナ(ギニア湾岸諸国統合体) 2033年、WA所属のアレクサンドル・ギゼンガ陸将が共同体の改革を掲げ、クーデターにより政権を奪取。WAを上記名称で呼称すると共に大統領の座に着く。当初こそ理想的構想のもとに民衆の支持を得ていたが、その実、粛清・弾圧を繰り返して、国家元首に権力が直結する強圧的な軍事政権を築く。近年ではE.C.からの支援を得て、軍事力を増強しており、CAでの報を聞くや、早々に第一世代WAWヴァーゲを導入している。 WALF(戦士の槍) クーデターの際、ルシアス・エンコモ大統領は反ギゼンガ派のエイモス・イレオ陸軍少佐に救出され、隣国CAに脱出する。CAは隣国の急速な軍事化に脅威を感じ、反ギゼンガ闘争を行うことを決意した元大統領に対し、支援を行う事を決定。ここにエンコモ元大統領が率いる反ギニアナ組織「戦士の槍」が誕生。CAがザインゴ出現により混乱に陥った際は一時支援が停止するも、組織自体は巨大化を続け、西アフリカ解放戦線(West African Liberation Front)と名称を変え、ゲリラ戦を継続している。ただ、ギニアナはWAW導入を開始すると共に本腰を入れ始めたため、WALFも敵のWAWを鹵獲するなどして、対応を続けるも苦戦を強いられている。 2034年7月 - チャドにおいて、ザインゴを壊滅に追いやったIMACだったが、跡地からギニアナによる多数の軍用輸送コンテナ及び国境を越えて伸びるトンネルが発見される。これをザインゴ支援の証拠と見たOCU・SAUS両国軍上層部は先程のザインゴ討伐において多大な戦果を挙げたIMACに対し、アフリカ駐屯任務の続行を決定。 更に、ギニアナが新型WAWシュッツェの大量投入を開始したことを受け、両国はE.C.とギニアナの関係洗い出しのためIMACをWALF支援に当てることを決め、SAUSは武器援助を開始。軍需企業の意向によるWAW実戦データ収集を視野に入れた作戦行動が、即座に進められた。 ラゴス海岸線より上陸する敵に徐々に圧迫される形となったWALFを支援するため、IMACは国境に隣接するサンガナビーチより、急襲揚陸艇(パジェーナ)を使用して急襲。砂地に足場を取られるWAWは戦車に圧倒される形になったものの、進軍路確保に成功した。その後、敵に攻囲されていたWALF主要メンバーと合流し、敵を排除した。なお、この時期より、新型WAWの配給が進められている。 IMACは後方で首都制圧の軍備を整えるWALFに目を向けさせないため、また補給拠点確保のため、レッキ新港の確保に向けられる。海岸線沿いに進軍したIMACはエスクラボスを抜け、調査目的だったシンセミアのWAWの攻撃により、部隊員を一名失うも、制圧に成功。 その間、WALFは首都制圧に成功。ギゼンガは軍司令部のあるラゴスに逃亡するも、WALFは放送局を押さえ、呼びかけによって全土に散らばっていた反政府運動を集結させた。一方、IMACは支援のため、ラゴスへの連絡橋を通過し、一挙にラゴス島・ヤバ地区に侵攻し、軍令部から逃れたギゼンガ本人の身柄を押さえる作戦を開始した。なお、この際欠員の生じた第1小隊にユージン・ボルヒェルトが兼メカニックとして協力を申し出、彼の発想した機体TCKと共に連絡橋を突破。 一方、WALF側ではイレオ少佐の知己でもあったロリングソン空将の協力により、空軍が反ギゼンガに転身し、ラゴスの軍司令部制圧に成功した。双方共に最終局面に入り、先行したIMACと共にヤバ地区を制圧、WAは解放された。一方、ギゼンガはUNAS方面への逃亡が確認されている。
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