西洋の秘教への導入
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1875年ニューヨークでブラヴァツキー夫人は他数名の人々と共に神智学協会を設立した。そして彼女は数冊の著書の執筆に取り掛かり、『ヴェールを剥がれたイシス』(1877年)で左道および右道という術語を紹介して、自身は右道の信奉者であること、左道の信奉者は黒魔術の実践者であって社会の脅威であることを断固として主張した。この彼女が新しく紹介した二分法は歴史家デイヴ・エヴァンズによれば西洋の従前の秘教では「かつては知られていなかった:181–182」ものであったが、すぐにオカルトのコミュニティで理解された。例えば、秘教的魔術集団(内光友愛会(英語版))の創始者ダイアン・フォーチュンも右道の立場をとり、「黒魔術師」つまり左道の信奉者が同性愛者であること、インド人の使用人がカーリーに捧げられた邪悪な魔術儀式をヨーロッパ人の主人に対して用い得ることを主張した:183–184。 アレイスター・クロウリーはこの語にさらに変更を加えてオカルト界で普及させた。また彼は自身の儀式魔術体系における神殿の首領になるのに失敗した者である「左道の兄弟」あるいは「黒い兄弟」に言及した。さらにクロウリーは(マグレガー・メイザースのような)被免達人がコロンゾンの住処にして第11の隠れたセフィラである深淵を横断することを選択したポイントを指して左道という語を用いてもいる。この場合、達人は聖守護天使の導きをも含めた全てを放棄して深淵を跳躍しなければいけない。彼の蓄積したカルマの量が十分でなおかつ全く徹底的に自己破壊を成し遂げていれば、彼はクロウリーの体系において星のように昇る「深淵の嬰児」となることができる。 一方、彼のうちに自己が断片でも残っていたり横断を恐れる気持ちがあったりすると嚢胞に包まれた状態になってしまう。つまり、深淵において脱ぎ捨てることができるはずだった自己の諸階層に取り囲まれて硬直化してしまうのである。こうして彼は「左道の兄弟」となり、自己破壊を選び損ねたにもかかわらず(というよりむしろ自発的に自己破壊しなかったからこそ)自身の意思に反して最終的に崩壊することとなる。クロウリーはこの一連の過程と「メアリー、ババロンに対する冒涜」やキリスト教聖職者の禁欲を結び付けて考えていた。 フォーチュンが左道の信奉者とみなしていた他の人物にアーサー・エドワード・ウェイトがいるが、彼は左道および右道という概念を認容せずに新しく導入されたものにすぎないとみなし、いずれにせよ左道・右道という語は黒魔術・白魔術とは異なると信じていた:182–183。 しかし、ウェイトがこの二対の語を区別しようとしたにも関わらず、左道と黒魔術の同一視はデニス・ホイートリー(英語版)のフィクション作品によってより広く普及した; さらにホイートリーはこの二語をサタニズムや(彼が伝統的イギリス社会の脅威とみなしていた)共産主義イデオロギーと混ぜ合わせた:189–190。彼の小説の一つ『新・黒魔団』(1941年)には以下のような記述がある: 左道の組織[...] には達人と呼ばれる者がおり[...] マダガスカルに起源を持ち数百年の間アフリカを支配して闇の大陸に留めていた恐るべきヴードゥー信仰が闇の道に充満している。
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