西周時代前期とは? わかりやすく解説

西周時代前期(紀元前1050年頃 - 前950年頃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:45 UTC 版)

中国の青銅器」の記事における「西周時代前期(紀元前1050年頃 - 前950年頃)」の解説

牧野の戦いで殷の帝辛紂王)を破った周の武王は、鎬京西安近郊)に都を置いた以後時代西周時代と呼ぶ。中国はこうした王朝交代易姓革命呼び革命すなわち天の命が改まることであると考えた当時の人々考え方では「徳」のある者にのみ、天下治め資格があった。酒池肉林故事知られる殷の紂王は、「徳」を失ったがゆえに天子たる資格失い天の意思により王朝が周に交代した考えたのである。周の社会封建制度礼楽制度基盤とした。青銅器については、殷代のものに比べて宗教的呪術的性格が薄まり、礼楽の器としての儀礼的色彩強まったことが、器自体刻まれ銘文からもうかがえる。周の康王のときに作られた「大盂鼎」という青銅器銘文には、「殷が滅びたのは過度飲酒原因である」という意味のことが書かれており、官吏飲酒戒めている。青銅礼器の器種も、酒器減り、神に穀物捧げるための盛食器類が多く作られるようになった。もっとも、酒器減少については、飲酒用の器に陶器漆器のものが増えたことによると考えられている。 青銅器器形文様基本的に殷代後期のものを踏襲しているが、殷代後期ピークとして徐々に文様形式化し、西周から春秋時代向けて工芸品としての芸術性という面では徐々に退潮向かっている。器種前代のものを継承しつつ、徐々に整理淘汰進んでいく。酒器では殷代盛んに作られた爵と觚が少なくなり、斝はほとんど見られなくなる。盛酒器では尊と卣が減り、壺が主体になっていく。簋は前の時代からあったが、方形台座有する簋が新たに登場した。これは実用食器というよりは儀礼的意味合いの強いものである穀物神である后稷遠祖と仰ぐ周においては、簋などの器に蒸した穀物盛って、神に捧げたものとみられる文様殷代呪術性の強い獣面文や動物文が次第図式化して幾何学文化し、総体呪術性・宗教性が薄まって、神や祖先祀る祭器というよりは礼楽の器という性格強まっている。器に刻まれる銘文長文化するのもこの時代からで、作器者の主たる関心は器自体機能以上に銘文方にあるとみられる銘文の内容は、この時代社会制度あり方反映して、器の主が周王室から特別な恩恵を受ける身分であることを強調したものが多い。また、歴史的事実について言及し金石資料として有用な銘文も多い。一例として、陝西省臨潼県から出土した利簋(「利」は作器者を示す)という器の銘文には、「武王甲子の日の朝に攻撃開始して商を滅ばした」という意味のことが記されており、『史記』に書かれていたことが歴史上の事実であったことが判明した

※この「西周時代前期(紀元前1050年頃 - 前950年頃)」の解説は、「中国の青銅器」の解説の一部です。
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