西周時代後期(紀元前850年頃 - 前771年)
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「中国の青銅器」の記事における「西周時代後期(紀元前850年頃 - 前771年)」の解説
周は9代王夷王の頃から王の権威が失墜し、貴族が力を増すようになった。周辺異民族の流入などもあり、国力は徐々に衰退していった。青銅器については、殷時代にみられた鬼神崇拝の風習はすっかり薄れ、文様は単純化し、器形は鈍重になっている。文様は山形文・鱗文などの幾何学文が主体となり、龍文が便化してデザイン的になった蟠螭文が盛行した。鼎の中には弦文(桶のタガのような直線の隆起線文)のみのものもある。器種は鼎・簋が中心になり、酒器は壺がみられる程度である。食器では盨・簠が登場した。盨は簋が隅丸長方形になったもので、実質的には簋とあまり変わらず、銘文に器名を自ら「簋」と名乗っているものもある。簠は長方形で、身と蓋が同形であることが特色であり、蓋も食器として使用できる。銘文は先祖の徳を称え、子孫を戒めるもの、周王への忠誠を誓うものなど、儀礼的、政治的色彩が強くなっている。これは、青銅という朽ちることのない素材に刻まれた文書という形で、周王への忠誠を子孫の代まで永く誓うという意味が込められている。銘の書体は整った大篆が用いられるようになった。
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