表現の擬人化の目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 20:39 UTC 版)
前述したように擬人化とは擬人観を元に対象を人間のように見る(表現する)ことであるが、それは前述した原始的な精神観念によるものだけでなく文学、絵画など文化的なレトリックでもあり今日擬人化とはこれすなわちフィクションの擬人化を指すことが多い。その目的は様々であるが、場合によって次のような効果を期待できる。 親しみを持たせ、対象に関心を高める 乳幼児期の子供は一般的に動植物・無生物などを擬人視して考える傾向にある。そのためこの年代を対象とした絵本や漫画・アニメでは動植物・無生物などが擬人化されて登場することが多く、そうすることによって仲間意識を持ち物事に対する関心を高めることができるからである。 各種団体がマスコットを作成したり、ゆるキャラあるいはネット社会を中心に萌え擬人化などを誕生させたりしているのも本来敬遠しがち、あるいは無関心な事象に一種の親しみを持たせる目的であるといえる。 対話形式を用いることで明確性を高める 参考書や教科書、その他子供向けの科学読みものなどでは図示の中で擬人化を巧みに用いて煩雑な説明を明確化させているケースがある。一つの文章を用いるとどうしてもそれが人間視点なのか、それとも非人間の視点なのか分からず紛れたり主述関係などが曖昧になったりするが擬人化を用い対話形式にすることで、図において個々の役割を明確化させることが期待できるからである。学習漫画はそのメリットを最大限に生かした好例である。 ある種の表現に対する婉曲表現 たとえば、一部の殺虫剤では簡単なイラストを用いて効能を標榜するほか、害虫に視覚的な嫌悪感を示すことが多いためにそのストレスを軽減する目的で用いる場合がある。また文学や社会記事などにおいても、「高波が一帯の村々を呑み込んだ」「激しい炎が一帯をひとなめした」などと表現することで本来の露骨さを回避でき凄惨な情景を漠然とさせることができる。 臨場感を出す 主に文学で多く用いられており、たとえば「荒波が襲いかかる」「秋の夜長を虫が奏でる」などを用いることで人間が間接的にそれを経験するのではなく非人物が主体となることでその場の臨場感を一層深めているのである。また俳人の小林一茶は雀や蛙など動物に対して盛んに擬人化を取り込んでおり、それによって小動物に対する憐れみや同情がより深く抉られた表現となっている。 客観性を出す 対して、擬人化した非人間たちを人間社会から遠ざけることで客観性を出すことが可能である。このように動物たちが主体となって人間の有様などを観察するという試みがなされた文学も多く代表的なものに夏目漱石の『吾輩は猫である』があり、星新一のSF短編などもよく知られる。 諷刺、アレゴリー グリム童話やイソップ寓話、日本の昔話、故事成語などでは動物が主人公になったものも多いがその多くは人の道徳を諭したり社会を諷刺したりしたものが多い。このように擬人化は動物を主役に置くことで暗に対象批判のカモフラージュとしても用いられるほか、殺傷場面などのグロテスクさを回避したりする効果もある。
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