蠣殻町とは? わかりやすく解説

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かきがら‐ちょう〔‐チヤウ〕【蠣殻町】


蛎殻町

読み方:かきがらちょう

  1. 東京米穀商品取引所のことをいふ。〔相場語〕

分類 相場

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日本橋蛎殻町

(蠣殻町 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 12:40 UTC 版)

日本 > 東京都 > 中央区 > 日本橋蛎殻町
日本橋蛎殻町
町丁
東京穀物商品取引所所在地付近
北緯35度40分58秒 東経139度47分07秒 / 北緯35.682911度 東経139.785161度 / 35.682911; 139.785161
日本
都道府県  東京
特別区 中央区
地域 日本橋地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口 5,344 人
 世帯数 3,354 世帯
面積[2]
  0.177980024 km²
人口密度 30025.84 人/km²
郵便番号 103-0014[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 品川
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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日本橋蛎殻町(にほんばしかきがらちょう)は、東京都中央区町名。現行行政地名は日本橋蛎殻町一丁目および日本橋蛎殻町二丁目。住居表示実施済区域。

概要

東京都中央区のうち、旧日本橋区に当たる日本橋地域に属する。北で日本橋人形町、東で日本橋浜町、南で日本橋箱崎町、西で日本橋小網町と接する。 おおむね日本橋地域の地理的中間地にあり、支所に相当する中央区役所日本橋区民センターが置かれている。

江戸時代からの商業地で、醤油瀬戸物問屋が多く残り、関連企業の本社や会館も所在する。日本橋久松町に所在する久松警察署と、日本橋兜町に所在する日本橋消防署の管轄。

中央区が定める正式な英語ローマ字表記は Nihonbashi-kakigaracho である[5]

歴史

「蛎殻町」との地名は江戸期から存在した。当時の蛎殻町の町域は、現在の日本橋蛎殻町の町域に加えて、現在の日本橋人形町の一部を含むものであった。日本橋区が設置された1878年(明治10年)においては、蛎殻町一丁目から三丁目までの丁目が設けられていた。蛎殻町は、旧:日本橋区の区役所所在地であり、現在も同地は、日本橋区民センター・区役所日本橋特別出張所となっており、区役所業務の一部を行っている。1947年(昭和22年)の日本橋区と京橋区の統合による中央区の設立に際し、「日本橋」が冠称とされ、「日本橋蛎殻町」が行政区画の名称となった。

蛎殻町は、1876年明治8年)に米穀取引所が置かれ、大阪堂島とともに米相場の中心となって発展した。米穀取引所は1939年(昭和14年)全国の米穀取引所と共に廃止された。その後、米穀取引所の跡地には、商品先物取引を取り扱う東京穀物商品取引所が設けられ、取引所仲買人・商品先物取引業者のオフィスが周辺に多く存在した。近在の鎧橋を挟んで、証券取引の街である兜町と対比される形で、商品先物取引の中心たる街の色彩が強かった。

明治時代から、新大橋通りと人形町通りには、路面電車が走っていた。交点となる水天宮前の電停は、1904年(明治37年)5月15日に設置された。戦時中の1944年5月5日には、水天宮前から現在の東京シティエアターミナル付近にあった「土州橋」電停までの区間が不要不急の路線として廃止された。1971年(昭和46年)3月18日、都電の水天宮前電停(現在の水天宮前交差点付近)及び蛎殻町電停(現在の蛎殻町交差点付近)が廃止となり、付近から路面電車の路線が姿を消した。

第二次世界大戦後には、河岸に浮かぶ船を多くの水上生活者が生活の拠点としていた。河岸には東京都水上民生館箱崎分室が作られ、水上生活者のための生活改善指導及び生活物資配給施設として機能した。1951年(昭和26年)10月10日には、昭和天皇が社会事業施設視察の一環として同館に行幸した[6]

1971年3月21日には、江戸橋ジャンクションから向島出入口京葉道路方面が延伸開通し、町域の南端部、もとの箱崎川の上空に高架にて首都高速道路が開通した。

1976年(昭和51年)1月1日に、日本橋蛎殻町を含む地域の住居表示が実施され、現在の日本橋蛎殻町の町域となった。これにより、「旧:日本橋蛎殻町一丁目」及び「旧:日本橋蛎殻町二丁目」が「現:日本橋蛎殻町一丁目」に、「旧:日本橋蛎殻町三丁目」及び「旧:日本橋蛎殻町四丁目」が「現:日本橋蛎殻町二丁目」に統合されたが、その際、「旧:日本橋蛎殻町二丁目」の一部(新大橋通りの北側部分)は日本橋人形町一丁目に、「旧:日本橋蛎殻町四丁目」の一部(新大橋通りの北側部分)は日本橋人形町二丁目に編入された。

1989年(平成元年)6月1日にロイヤルパークホテルが開業、1990年(平成2年)11月28日に、東京メトロ半蔵門線水天宮前駅が開業した。三越前駅から当駅までの延伸で、当駅が終着駅となった(2003年(平成15年)3月19日の当駅から押上駅の区間の延伸により途中駅に。)。

2011年(平成23年)に東京穀物商品取引所が取引を停止した後は、住宅の都心回帰の動きにより、オフィスビルがマンションに姿を変えるなど、街のカラーは、やや変わりつつある。

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(中央区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
日本橋蛎殻町一丁目 2,407世帯 3,939人
日本橋蛎殻町二丁目 947世帯 1,405人
3,354世帯 5,344人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[7]
1,746
2000年(平成12年)[8]
2,042
2005年(平成17年)[9]
3,313
2010年(平成22年)[10]
3,972
2015年(平成27年)[11]
4,826
2020年(令和2年)[12]
5,155

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[7]
721
2000年(平成12年)[8]
1,064
2005年(平成17年)[9]
2,083
2010年(平成22年)[10]
2,345
2015年(平成27年)[11]
2,990
2020年(令和2年)[12]
3,110

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[13]

丁目 番地 小学校 中学校
日本橋蛎殻町一丁目 7~16番[14] 中央区立日本橋小学校 中央区立日本橋中学校
1〜6番
17〜39番
中央区立有馬小学校
日本橋蛎殻町二丁目 全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

丁目 事業所数 従業員数
日本橋蛎殻町一丁目 717事業所 8,353人
日本橋蛎殻町二丁目 203事業所 3,994人
920事業所 12,347人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[16]
897
2021年(令和3年)[15]
920

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[16]
10,054
2021年(令和3年)[15]
12,347

主な企業

施設

過去にあったもの

交通

鉄道

路線バス

道路

その他

日本郵便

関連項目

脚注

  1. ^ a b 中央区の人口データ(町丁目別世帯数男女別人口)” (XLSX). 中央区 (2023年1月1日). 2025年3月31日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2025年3月30日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 日本橋蛎殻町の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 中央区設置住居表示板
  6. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十一』東京書籍、2017年3月30日、264頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
  7. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  13. ^ 小中学校通学区域情報” (CSV). 中央区. 2025年3月31日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  14. ^ 町域のうち、新大橋通りの北側に所在する部分
  15. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  16. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  17. ^ 道路・橋梁詳細画面「とうかん堀通り」”. 中央区. 2020年8月15日閲覧。
  18. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。

外部リンク



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