舞台監督として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 07:42 UTC 版)
「ウィリアム・S・ギルバート」の記事における「舞台監督として」の解説
最も完璧な熱心さと全体的な厳粛さで演じることが、この作品の成功のために絶対的な要素である。衣装、化粧、振る舞いに誇張があってはならない。登場人物はそろいも揃ってその台詞や動作の完全な誠実さを信じているように見えるべきである。彼等がその言葉の愚かさに気付いていることを俳優が示すならば、作品は退屈なものになり始める – 『Engaged』への前口上 ギルバートはその地位が確立されると、劇やオペラの舞台監督となり、それらを如何に演じれば良いかについて強い見解を持った。劇作家ジェイムズ・プランシェや特にトム・ロバートソンによる、今で言うト書き、「演出技法」の革新に強く影響された。ギルバートはロバートソンが指導するリハーサルに同席し、この年長の監督から直に技法を学び、それを自分の初期作品の幾つかに当てはめ始めた。演技、道具、衣装、動作にリアリズムを求め、その劇に満足しない場合は(ロバートソンへの献呈として『恋人たち』のような「自然主義」スタイルでロマンス・コメディも書いてはいた)、観衆との自意識の交流を避け、登場人物が自身の愚かさに気付くことはないが、全体では理路整然としている描写的スタイルに固執した。 1874年のバーレスク『ローゼンクランツとギルデンスターン』では、登場人物のハムレットが他の役者に対する演説で、ギルバートの喜劇演技理論を要約している。「聞いている者達に彼が全体の不調和を気付いてないと思わせるように、熱心にその愚かさを全面に出し続ける大言壮語のヒーローのようなふざけた仲間は居ないと考える。」これらの考えに沿った作品を出すことで、後のジョージ・バーナード・ショーやオスカー・ワイルドのような劇作家がイギリスの舞台に花開かせることができた下地を設定した。 ロバートソンは、「ギルバートに、鍛えられたリハーサルの革新的な観念と演出、すなわち演技指導、デザイン、音楽、演技など全体の表現におけるスタイルの統一性を紹介した。」ロバートソンと同様、ギルバートも俳優に鍛錬を要求した。俳優達が台詞を完全に理解し、明瞭に発音し、ギルバートの演技指導に従うことを要求したが、これは当時の俳優達にとって全く新しいことだった。大きな革新はスター俳優を鍛えられた平団員に置き換えたことであり、劇場において「監督の立場を新しい支配者の位置に挙げた。」「ギルバートが良い監督であることは疑いが無い。俳優達から自然ではっきりとした演技を引き出すことができ、それがギルバートの要求する理不尽さをストレートに表現させることになった。」 新しい作品のそれぞれに細心の注意を払って準備しており、舞台、俳優、大道具のモデルを作り、あらゆる演技と仕草も前もって設計した。その権威に逆らう俳優とは仕事をしようとしなかった。ロングランや再演の時であっても、その作品の出来を密に監督し、俳優達が認められていない追加、削除、あるいは言い換えをしないよう確認していた。年取ってきた時でも、演技を自ら示すことで有名だった。その生涯を通じて多くの公演で自らステージに上がってもいた。例えば、『陪審員裁判』における同僚としての演技、『失恋』での病気の俳優に対する代役、一幕物慈善マチネにおいては『ローゼンクランツとギルデンスターン』のクラウディウス王の役があった。
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