舞台美術家から舞台演出家への転向、役者の道へとは? わかりやすく解説

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舞台美術家から舞台演出家への転向、役者の道へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:35 UTC 版)

野沢那智」の記事における「舞台美術家から舞台演出家への転向、役者の道へ」の解説

中学生の頃、家の近くにあった明治座」という芝居劇場毎日のように通う。ただし見ていたのは役者ではなく舞台装置で、明治座から帰るとみかん箱を舞台見立てたミニチュア作って遊んでいた。最初から役者をやりたかったわけではなく将来舞台美術家なりたい思っていた。 國學院大學政経学部進学後、大学3年生の頃からプロ劇団出入りするようになり、大道具など仕事手伝わせてもらうようになる。ところが、その劇団舞台美術家から「お前絵が下手だな。思いつきはいいんだけど。向いてないよ。やめろ」と言われてしまう。野沢はそれでも芝居関係の仕事がやりたかったため、今度舞台演出家目指すうになる大学中退し劇団七曜会演出家研修生として入団。だが、主催高城淳一会った途端、「演出家希望?とりあえ役者やれ!」と言われ、いきなり舞台に出ることになる。それから3年ほど、七曜会役者続けることになった。なお、七曜会時代先輩には肝付兼太青野武らがいる。 また、当時誕生したばかりだった洋画の吹き替えアルバイトをこなすようになった俳優間では「(吹き替えの仕事は)俳優として、自分オリジナリティ捨てている」と見下されていたが、野沢は「当時テレビドラマ生放送だから、ドラマ仕事が来ると稽古リハーサル一週間拘束されるでも、それじゃ舞台のための稽古できない吹き替え一定期間で終わるから、時間的に効率のいいアルバイトだった。役者目指しいるからには、稽古時間欲しじゃないですか。それに、一応セリフを喋る仕事だから、まったく関係ない業種アルバイトより、吹き替えのほうが勉強なりますからね。僕は演技デッサンとして面白いなと思ったし、実際に収入もなかった」という理由積極的にやったという。 劇団七曜会退団後、野沢役者仲間集めて劇団城」を立ち上げた初め演出担当するが、難し演目ばかりやっていたため、客は入ってこなかった。そのため、金はかかるとたちまち運営行き詰ってしまい、劇団分裂。製作の責任者であった野沢3年間で370万円現在の価値2000万円ほど)もの借金抱え込んでしまった。その後アパート引き払い友人の家を転々とし、15円のコッペパンで「今日食べたぞ!」と満足していたほどの赤貧生活だった。当時の生活について野沢は「少しも辛くなかったのは、芝居好きっていうのもあるけど、日本中が貧乏だったからでしょうね」と振り返っている。

※この「舞台美術家から舞台演出家への転向、役者の道へ」の解説は、「野沢那智」の解説の一部です。
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