自転車芸人
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自転車ロードレースを趣味としているほか、自転車関連で単独でテレビ出演することも多く、自ら「自転車芸人」を名乗っている(後述の#著書も参照)。 出演したテレビ番組の景品でロードバイクを貰ったのがきっかけとされる。『関口宏の東京フレンドパークII』の景品としてプレゼントされたトレックの本格的なロードバイクであった。当時は乗り方もよく分からなかったため自転車屋に持って行きママチャリと交換してもらおうとしたが、「良いバイクなのにもったいないので乗って下さい」と断られたそう。しかし乗ってみるとものすごく速く、軽く気持ちが良かったため、段々楽しくなっていき、今に至るという。 愛車はキャノンデールのSuper Six HI-MOD Team。そのSuper Six、以前番組で[いつ?][どれ?]「Ultimateですよ、120万の自転車ですよ!」としゃべったことがあるが、実際にはコンポネートの中にシマノ・アルテグラが混じっていたり、マヴィックのキシリウムが入っていたりすることから、Ultimateではないことが判別可能。2013年現在はそのキャノンデールとKYKLOSのロードバイクを主に使用しており、普段乗らないものも含めると所有台数は13台。2018年現在はNESTOのカスタムモデルに乗っている。 ジャパンカップに遊びに行った際、当時は自転車の知識が無く、誰だか分からないままイヴァン・バッソにサインをもらったことからリクイガスのファンに。その関係と坂馬鹿であることを含め、リクイガス仕様のマイヨ・ブラン・ア・ポワ・ルージュレプリカをよく着用する。自身のロードバイクもリクイガスのチームカラー。 斜度20%を超えるような激坂が好き。停止状態からスタート、蛇行しない、足を付かないなど自分なりの縛りを加え楽しんでいる。 2012年9月には、J SPORTS『自転車のススメ』の企画の一環で宇都宮ブリッツェンの下部組織、ブラウ・ブリッツェンの入団試験に挑戦し合格した。本人曰く「芸人では初の実業団選手」とのこと。 ホビーレースに参加したこともあり、2008年にはジャパンカップサイクルロードレースやヒルクライムレースのオープンクラスに参加した。ブラウ・ブリッツェン加入後はトライアスロンにも挑戦しており、2013年8月のアイアンマン・ジャパン北海道では1179位で完走している。 2015年7月19日、ゲスト参加していた「温海トライアスロン大会」(山形県鶴岡市)のバイク(自転車)競技中に転倒し、前頭部を強打して救急搬送された。一時気を失っていたものの、診察の結果脳への異常は見つからなかった。22日の精密検査では、脳しんとうによる体調不良、打撲による右目の腫れ、右目から頬までの外傷などにより、1か月間の運動禁止を言い渡されたが、29日には仕事復帰し、会見で事故の際の様子などを語った。8月14日にテレビ東京系で放送の『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』で、けが後初のロケを行い(撮影は8月3日 - 5日に行われた)、本格的にテレビの仕事に復帰した。同月18日に開催されたイベントに参加した際には、「右脳と左脳をつなぐところに、まだちょっと影が」あり、「まだスポーツはダメ」と説明した。 2016年5月19日、翌2017年にオランダで開催される「世界トライアスロン選手権」(40 - 44歳カテゴリー)への出場に挑戦することを明らかにした。同月22日、トライアスロン復帰レースとなる「第3回南紀白浜トライアスロン大会」(和歌山県)に挑戦、完走した。 2019年2月6日放送のTBS『水曜日のダウンタウン』「自転車の上でも、人はなんとか生活できる説」の検証に参加。最大24時間、屋外で自転車に乗り続け、足が地面などに着いたら即脱落というルールで検証が行われた。開始13時間で団長以外の参加者が全員脱落してしまうが、そのまま独りで最後まで自転車に乗り続けた。
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