織田軍の鉄砲数と三段撃ちについてとは? わかりやすく解説

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織田軍の鉄砲数と三段撃ちについて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 17:40 UTC 版)

「長篠の戦い」記事における「織田軍の鉄砲数と三段撃ちについて」の解説

長篠の戦い特筆すべき点として織田家当時としては異例鉄砲3,000丁を用意して兵に配布し、新戦法三段撃ち行ったとされるのが有名である。 通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3,000丁も用意、さらに新戦法三段撃ち実行した織田軍を前に当時最強呼ばれた武田騎馬隊為す術もなく殲滅させられとされるが、そもそも兵力に2倍以上の差があったうえ、後述にもあるよう経過勝因については様々な論点において異論存在する通説である鉄砲3,000丁というのは甫庵本『信長記』や池田本信長公記』が出典である。甫庵本は資料としての信用度はさほど高くはないとされ資料的な信用度が高いとされる池田本の方では1,000丁と書かれた後に「三」の字が脇に書き足されたようになっている点に信憑性問題がある。これは甫庵本の3,000丁が一人歩きし後世の加筆なのか、筆を誤ったのに気付いてその場加筆修正したのかは明らかではない。しかしその「三」の字は返り点とほぼ同じ大きさ書かれており、筆を誤ったのでその場加筆したというのも少々考えにくい。 太田牛一の『信長公記』では、決戦使用され鉄砲に関しては「千挺計」(約1,000丁)、巣山攻撃別働隊が「五百挺」と書いてあり(計約1,500丁)、3,000丁と書かれていない。しかし、この「千挺計」は、佐々成政前田利家野々村正成福富秀勝塙直政の5人の奉行配備したと書かれているであって、この5人の武将以外の部隊鉄砲の数には言及されていないまた、信長はこの合戦直前、参陣しない細川藤孝筒井順慶などへ鉄砲隊供出するよう命じており、細川100人、筒井50人を供出している。恐らく他の武将からも鉄砲隊供出行われたものと思われ、さらに鉄砲傭兵団として有名な根来衆参戦している。つまり、太田全体正確な鉄砲数を把握していなかったといえ、1,500丁は考えうる最低の数といえる当時織田家鉄砲どのくらい集めることができたかを考えた場合、これより6年後の天正9年1581年)に定められ明智光秀家中軍法によれば一千取り軍役60人、そのうち鉄砲5挺を用意すべき旨定めている。長篠合戦参戦した織田軍の兵力通説に従って30,000、また先述のように参戦しない武将にも鉄砲隊供出させた史実考えれば数千挺ほどは充分用意できた可能性がある。 以上の内容考慮して織田家使用した鉄砲数が通説よりも少ない1,000丁だったとみても、当時としては充分に特筆すべき数ではある。また、武田軍全軍通説通り1万数千人と仮定した場合、勝頼本隊別にして、戦死した馬場隊・内藤隊・山県隊・真田兄弟隊・土屋隊や、撤退した穴山隊、武田信廉隊、武田信豊隊と分けて行くと、部隊ごとに差はあるにしても一部隊の人数は2,000人に達しない。この部隊単位考えれば織田軍の鉄砲が1,000であったとしても、相対的に相当な数である(また、これとは別に徳川家鉄砲考慮に入れる必要がある)。 「鉄砲三段撃ち」は有名な戦法であるが、実在疑問視されている。『信長公記』では鉄砲奉行5人に指揮取らせたとだけ書いてあり、具体的な戦法、つまり三段撃ち行ったという記述はなく、最初記述江戸期出版され通俗小説見られる。それを、明治期陸軍教科書史実として記載したことから、一気に「三段撃ち」説が広まったものとされる(これは「大日本戦史」として1942年出版されている)。名和弓雄現代において火縄銃発射再現した経験から「三段撃ち不可能」との見解示している。 ただ、先述のように信長がこの合戦大量鉄砲持ち込んだことは疑いようがない。『信長公記』には、「武田騎馬隊押し寄せた時、鉄砲一斉射撃大半打ち倒されて、あっという間に軍兵がいなくなった」という鉄砲打撃力を示す描写がある。より具体的には、「長篠の戦い緒戦で、武田軍家老山県昌景一番手として織田陣営攻め立てたが、織田軍の足軽身を隠したままひたすら鉄砲撃ち誰一人前に出ることはなかった。山県隊は鉄砲撃たれ退却し次に二番手三番手と次々と新手繰り出すが、それもまた過半数鉄砲犠牲になった要約)」とされる。ただし、#両軍の兵力数と損害数記述されるように、本当にそれだけ損害与えられたのかは別に疑問が残るとはいえ死なずとも負傷兵となれば、これを退かせる必要があり、負傷した人間後送させるにも最低1名、つまり計2人以上を前線から遠ざけることになる(この考え方現代でも行われている)。具体的な運用法は不明だが、鉄砲隊ある程度集中した部隊として機能させていれば1度射撃部隊単位戦力大きく消耗させることは不可ではなく結果的に三段撃ちがなくても、武田軍消耗させることは難しくないといえる

※この「織田軍の鉄砲数と三段撃ちについて」の解説は、「長篠の戦い」の解説の一部です。
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