絶対の孤独と「ふるさと」とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 絶対の孤独と「ふるさと」の意味・解説 

絶対の孤独と「ふるさと」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「絶対の孤独と「ふるさと」」の解説

大晦日大井広介浅草雷門会い意気投合し現代文學同人となる。翌1941年昭和16年1月大井宅で歴史書耽読し蒲田区安方町の家に戻る。8月評論文学ふるさと」を『現代文學』に発表シャルル・ペロー版『赤ずきん』の残酷な〈救ひ〉のない結末鑑み、〈生存それ自体孕んでゐる絶対孤独〉が〈文学ふるさと〉だと考察し、〈モラルがないといふこと自体モラルというところから文学出発するではないか論じられ自身孤独な半生思想として結晶させている。8月小田原から蒲田区安方町94移り、再び母や兄たちと住むようになったが、小田原借家9月暴風雨流失する歴史長編小説島原の乱』(未完)を構想し10月に『現代文學』に「島原の乱雑記」を発表11月は「ラムネ氏のこと」を『都新聞』に発表する同月石川淳識る1942年昭和17年2月に母・アサが息を引き取る73歳で没)。3月評論日本文化私観」を『現代文學』に発表6月に「真珠」を『文藝』に発表。「真珠」は真珠湾攻撃特攻隊勇士九軍神主題にした小説で、彼らの死を目前にしたゆえの透明な明るさと、安吾自身飲んだくれ無頼の生活を対比させた作品である。兄・献吉夫婦新潟市二葉町1丁目に転居したため、『島原の乱』の執筆兼ねて一夏新潟で過ごす。11月に「青春論」を『文學界』に発表。独自の文学観や思想確立してゆく。1943年昭和18年9月最初自伝小説二十一」を『現代文學』に発表10月創作集『真珠』(「古都」「孤独閑談」など所収)を刊行したが、「孤独閑談」の一部の表現が時局合わないとして再版禁じられた。この頃、「猿飛佐助」の構想立てるが中断する12月に『日本文化私観』を文体社から刊行戦時中作品発表の場が大幅に減り歴史書『平家物語』読み漁った。 1944年昭和19年1月黒田官兵衛主人公にした歴史小説黒田如水」(『二流の人』の原型)を『現代文學』、2月に「鉄砲」を『文藝』に発表徴兵逃れのために日本映画社嘱託となる。3月14日矢田津世子38歳病死安吾はしばらく打ちのめされた。1945年昭和20年4月召集令状を受けるが、応召せず、6月に、記録映画黄河』などの脚本書いた映画化はされなかった。2月26日東京大空襲受けたが、家は焼け残った戦災遭った親戚筋の大野璋五(裁判官一家4人が坂口家同居する終戦後9月日本映画社退社世話になった友人尾崎士郎戦争責任追及されることを危惧して奔走する安吾尾崎士郎秘書という名目GHQ戦犯事務所同行して弁護をした。

※この「絶対の孤独と「ふるさと」」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「絶対の孤独と「ふるさと」」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「絶対の孤独と「ふるさと」」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「絶対の孤独と「ふるさと」」の関連用語

絶対の孤独と「ふるさと」のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



絶対の孤独と「ふるさと」のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの坂口安吾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS