筑後川水系治水基本計画
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昭和28年西日本水害における筑後川流域の被害詳細については昭和28年西日本水害#筑後川流域を参照。 戦後、筑後川の治水を語る上で欠かせないのは1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて発生した昭和28年西日本水害である。この時は筑後川上流の熊本県阿蘇郡小国町で6月25日一日で433.6ミリの豪雨が降り注いだのを始め、5日間で阿蘇山を中心に総雨量1,000ミリを越える集中豪雨となった。 これにより筑後川は過去最悪の洪水をひき起こし、久留米市を始め朝倉郡・浮羽郡など筑後川流域は有史以来最悪の水害を蒙り死者147人、被災者数54万人を数え米軍や保安隊も救助活動を行った。特に、中流部の夜明地点に九州電力が建設していた夜明ダムは、両岸が激しい水流によって崩落しダム決壊という事態を招いた。このことは後に調査委員会が設けられるなど一時問題となったが、根本的な問題はダム決壊よりも河川整備の不備であった。 建設省九州地方建設局は1949年(昭和24年)の「河川改訂改修計画」に拠って筑後川支流の玖珠川と津江川にダムを建設する計画を立てていたが、この水害を受けて大幅な計画高水流量の改訂に迫られた。 1957年(昭和32年)「筑後川水系治水基本計画」を策定し、この中で多目的ダムによる洪水調節が必須との結論が出て、その結果筑後川本流の津江川合流点付近に松原ダム、松原ダム直上流部の津江川に下筌ダム(しもうけダム)を建設して洪水調節を図り、1973年(昭和48年)に両ダムは完成した。 また、中流部においては1961年(昭和36年)より千年分水路・原鶴分水路・大石分水路の「三大分水路」が建設され1979年(昭和54年)に事業が完成している。 下流域では1966年(昭和41年)より久留米市において東櫛原大規模引堤事業が着手され、住民の移転や西日本鉄道天神大牟田線の筑後川鉄橋など4橋梁の架け替えなどに難航しながらも1993年(平成5年)に完成している。 佐賀市を流れる佐賀江川については1980年(昭和55年)の水害で激甚災害法に指定されたことを契機に佐賀江川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)に指定され、排水機場の整備や蛇行部の直線化が行われた。 この他宝満川・小石原川・花宗川・広川など主な支流には堤防整備や筑後川の洪水逆流防止のための水門改築、橋梁整備や川幅拡張を行った。現在は支流の城原川(じょうばるがわ)に城原川ダムの建設を進めている。 福岡県も管理する筑後川水系の中小河川について河川改修を実施する傍ら国庫補助を受けた補助多目的ダム・補助治水ダム事業を行っており、宝満川支流に山神ダム(山口川)や河内ダム(大木川)、広川には広川ダムを完成させた。 現在はうきは市の巨瀬川に藤波ダムを治水ダムとして建設している。
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