筑後川水系治水基本計画とは? わかりやすく解説

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筑後川水系治水基本計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 06:21 UTC 版)

筑後川」の記事における「筑後川水系治水基本計画」の解説

昭和28年西日本水害における筑後川流域被害詳細について昭和28年西日本水害#筑後川流域参照戦後筑後川治水を語る上で欠かせないのは1953年昭和28年6月25日から6月29日にかけて発生した昭和28年西日本水害である。この時は筑後川上流熊本県阿蘇郡小国町6月25日一日で433.6ミリ豪雨降り注いだのを始め5日間で阿蘇山中心に雨量1,000ミリ越え集中豪雨となった。 これにより筑後川過去最悪洪水ひき起こし久留米市始め朝倉郡浮羽郡など筑後川流域有史以来最悪水害を蒙り死者147人、被災者54万人数え米軍保安隊救助活動行った。特に、中流部夜明地点九州電力建設していた夜明ダムは、両岸激し水流によって崩落しダム決壊という事態を招いた。このことは後に調査委員会設けられるなど一時問題となったが、根本的な問題ダム決壊よりも河川整備不備であった建設省九州地方建設局1949年昭和24年)の「河川改訂改修計画」に拠って筑後川支流玖珠川津江川ダム建設する計画立てていたが、この水害受けて大幅な計画高水流量改訂迫られた。 1957年昭和32年)「筑後川水系治水基本計画」を策定しこの中で多目的ダムによる洪水調節必須との結論出てその結果筑後川本流津江川合流点付近に松原ダム松原ダム直上流部の津江川下筌ダム(しもうけダム)を建設して洪水調節図り1973年昭和48年)に両ダム完成したまた、中流部においては1961年昭和36年)より千年分水路・原分水路大石分水路の「三大分水路」が建設され1979年昭和54年)に事業完成している。 下流域では1966年昭和41年)より久留米市において東櫛原大規模引堤事業着手され住民移転西日本鉄道天神大牟田線筑後川鉄橋など4橋梁架け替えなどに難航しながらも1993年平成5年)に完成している。 佐賀市流れ佐賀江川については1980年昭和55年)の水害激甚災害法指定されたことを契機佐賀江川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)に指定され排水機場整備蛇行部の直線が行われた。 この他宝満川小石原川花宗川広川など主な支流には堤防整備筑後川洪水逆流防止のための水門改築橋梁整備川幅拡張行った。現在は支流城原川じょうばるがわ)に城原川ダム建設進めている。 福岡県管理する筑後川水系中小河川について河川改修実施する傍ら国庫補助受けた補助多目的ダム補助治水ダム事業行っており、宝満川支流山神ダム山口川)や河内ダム大木川)、広川には広川ダム完成させた。 現在はうきは市巨瀬川藤波ダム治水ダムとして建設している。

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