筑後川開発史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 06:31 UTC 版)
筑後川は先述の通り1636年に河川名が現在の「筑後川」となるまでは「千歳川」や「筑間川」等と呼ばれていたが、「一夜川」とも呼ばれていた。 その意味は洪水により一夜にして流域が荒廃してしまうとの意味であり、筑後国の租が1年免除されたと記録される806年の洪水から近代河川整備が本格的に行われるようになった1889年(明治22年)の洪水までの間には、実に183回もの大水害が発生している。これは本流・支流の水源地の地質が安山岩等の透水性の低い火山岩地質であること、上流部が急勾配である反面下流は緩勾配で下流部は溢水し易い地形が災いしている。 だが、流域は肥沃な穀倉地帯でもあり、流域の治水・利水は古くから間断なく行われている。
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