第6番 変ニ長調 作品63
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「夜想曲 (フォーレ)」の記事における「第6番 変ニ長調 作品63」の解説
1894年8月3日に完成。1894年にアメル社より出版。初演は不詳である。ウジェーヌ・デクタル夫人に献呈された。 1886年の舟歌第4番から1893年までの間にフォーレはピアノ作品を書いておらず、この空白の理由について、舟歌第4番に対する自己嫌悪によるもの、あるいはそうではなく作曲者の関心が他の領域に移ったためなどと説明されている。いずれにせよ、フォーレの創作第二期を告げるピアノ作品は、1893年に作曲されたヴァルス=カプリス第3番、同第4番などで、これらにつづいたのが夜想曲第6番及び舟歌第5番である。 このころ、フォーレとその家族はセーヌ川流域のブジヴァルの貸家を夏の居住地としており、ブジヴァル近郊のプリュネーにはフォーレの義父フレミエの別荘もあった。1894年の夏、夜想曲第6番は舟歌第5番とともにこの別荘で作曲された。 フォーレが自筆譜に残した日付は、舟歌第5番が1894年8月3日、夜想曲第6番が9月18日となっている。この年、フォーレはポリニャック夫人ウィナレッタ・シンガーに宛てて次のような手紙を書いている。 「お返事を出さなかったのは、すごく憂鬱な気分に悩まされていたからです。そして友人にそのことを伝えようとすると、曲を書く気が全くなくなってしまうのです。(……)私が今ピアノ曲に夢中になっていることを分かっていただけますか……。時をおいてこれらの曲が演奏されるだろうとか、私の歌曲が取り上げられるまでには時間がかかったなどとはお思いにならないで下さい。また、多少とも興味深い新しいピアノ曲も、稀にしか存在しないわけではないのです。」 — ポリニャック夫人に宛てたフォーレの手紙(1894年) 夜想曲第6番と舟歌第5番は、ともにフォーレの夜想曲・舟歌の中で最も優れた作品である。とはいえ、両曲は美学面ではむしろその対照性において際だっている。運動性と男性的な力強さを打ち出した舟歌第5番に対して、夜想曲第6番では大きな三部分からなる形式の中に、瞑想的で清澄な雰囲気と、それに包まれるように置かれた悲壮な趣を持つ感情の高まりとの完璧な調和が実現されている。 ピアニストのアルフレッド・コルトーは夜想曲第6番について、「ピアノ音楽の中にこの作品と比肩できるものはわずかしかない(……)。この夜想曲が持つ情趣は、個人的な感情の域を超え、傑作の徴である普遍性に到達している」と述べた。このほか、ジャンケレヴィッチは「至上の美しさ」、ネクトゥーは「冒頭で歌われる息の長い主題は、青年の情熱が深遠な響きに変化した、フォーレのもっとも感動的な旋律の一つ」、「これほど現実感からかけ離れた作品は他にあまり例を見ず、聞き手は演奏が始まるや否や時間と空間の意識を失う。」、「天上の音楽の清澄な光の印象」、などと表現しており、夜想曲第6番はフォーレの傑作として広く認められている。また、フォーレの次男フィリップはこの曲について、「夜を描写しようとしたのではなく、夜の心情を吐露しようとしたのであり、人間と目に見えないものとの密やかな交流を試みたのだ」と述べている。 ネクトゥーの解説では、曲は3つの主題で構成され、第1主題は無言歌風の抒情的な雰囲気を持つ。第2主題はアレグロ・モルト・モデラート、嬰ハ短調でシンコペーションを伴う。第3主題はアレグロ・モデラート、4/2拍子、イ長調となり、ピアニッシモで16分音符からなる繊細な伴奏に乗って高音域に現れる。夢見るような、あるいは星を思わせるこの部分は、5年後に書かれたアルノルト・シェーンベルクの『浄められた夜』(1899年)への影響が認められる。展開部では、これらの主題が絡み合いながらコントラストを描き、あたかも万華鏡のような世界を繰り広げる。冒頭主題の後半部分が左手のオクターヴによってフォルティッシモで奏され、頂点を形成する。その後、より落ち着いた表情で第1主題が再現、次第にゆっくりと沈黙の中に消えてゆく。 なお、夜想曲第6番の変ニ長調は、フォーレが好んだ調性であり、歌曲『夕べ』(作品83-2、1894年)、『秘密』(作品23-3、1880年)、9つの前奏曲の第1番(作品103、1910年)など、とりわけ夜の静けさと内面的な抒情性を表す際に採用された。
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