第六部 世界制覇編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 16:09 UTC 版)
(注・あらすじで紹介している大会結果はあくまで作中の描写であり、実際の結果や展開とは異なる場合が多々ある。)カンフーとの対決を制した倍達は日本に戻り、かねてからの念願であった全日本空手道選手権大会の開催と、最終的な目標である全世界空手道選手権大会に向けて動き出した。まずは第1回全日本選手権大会の開催が決まり、他流派の空手や、他の格闘技からも、ヘビー級の黒人ボクサー、体重130kgの柔道家、「キックの帝王」沢村忠を16回もダウンさせてKO勝ちしたタイ式ボクサー「サマン・ソーアジソン」等が参戦し、他流派の空手家達を次々に破って勝ち進んだが、三人共に、四国の芦原道場で地獄の合宿に耐え抜いた「日大の竜」山崎照朝と「城西の虎」添野義二の二人によって倒され、決勝はその二人の対決となり、僅差で山崎が第一回全日本王者となった。第2回では、講道館柔道の期待の新星佐藤勝昭が参戦。他流の空手家を相手に順調に勝ち進んだ勝昭だが、初の極真勢との対決となった長谷川一幸戦でKOされ、その後「少年マガジン」に梶原一騎の書いた記事で、「85kgの柔道家、60kgの空手家に一撃KO」の見出しが大きく載っていた事で発奮し、柔道を断念して極真会館に入門、翌年の第3回全日本では決勝で「大先輩」大山泰彦を破って涙の優勝を果たした。第4回は英国からハワード・コリンズが日本に空手留学。八百屋で働きながら稽古を続け、大会では山崎照朝を破って決勝進出を果たすが、勝昭のライバル三浦美幸が延長の末王者の英国流出を食い止める。第5回は他流派から富樫宜資が参戦、極真の強豪岸信行を破るなど旋風を巻き起こすが、佐藤俊和がその勢いを阻止。決勝はその佐藤を破った山崎照朝と盧山初雄が対決。盧山が勝って初優勝を決めた。怪我をした事で第5回の参戦を棒に振った添野義二は「第二の空手バカ一代」を目指してタイへ渡り、ムエタイ戦士達と激闘を繰り広げるが、最終目標であった「闇の帝王レーバン」は、添野との対戦が決まった直後に暴漢に射殺されてしまい、失意の帰国となった。 そしてついに、倍達の最終目標である「第1回オープントーナメント 全世界空手道選手権大会」が開催される。「ついにこの日が来た! 空手一筋を決意してから長年夢見たこの日が!」倍達は感無量であった。そして原作者の梶原は、倍達の目に感激の涙が光っているのにふと気づくのであった。喜びも束の間、開催国である日本の選手が優勝出来なければ「切腹」しなければならないという倍達の悲壮な決意の中、日本人選手たちは世界の強豪を相手に勝ち続ける。最も脅威であったニューヨークの「ブラックパワー」、チャールズ・マーチン、ウイリアム・オリバー、ウイリー・ウイリアムスの3人のうち、オリバー、ウイリーは早々と姿を消すが、チャールズは日本人選手の一角、東谷巧を破るなどの活躍でついに準々決勝まで進出。しかし、盧山初雄の執念のローキック攻勢の前に敗れ、ついに外国人選手は姿を消し、倍達は(これでどうにか切腹せずに済んだらしい)と胸を撫で下ろす。決勝戦はその盧山と佐藤勝昭の対戦となり、佐藤が勝って初代世界チャンピオンに輝いた。世界大会終了後も極真空手の勢いは止まらない。「絶えざる前進あるのみ。ケンカ空手の野生忘れず」真樹日佐夫は香港で、倍達がかつてただ一度の敗北を喫した、カンフー界を支配する陳一族の首領、陳ヨウリンを倒し、長年の雪辱を果たす。ウイリー・ウイリアムスは人食い熊を倒し、プロレス王アントニオ猪木への挑戦を表明するなど活躍。 「私の目の黒い限り、極真空手の永久不敗を読者諸君に誓います。大山倍達54歳、ますます元気です」という大山倍達のメッセージで物語は幕を閉じた。
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