科学技術の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:19 UTC 版)
歴史研究者の間で交わされる議論の主題となるのが、中国で科学革命が進展しなかった理由は何か、また中国の技術がヨーロッパの後塵を拝した理由は何かである。文化から政治経済まで各種の仮説が提唱されている。ネイサン・セビンの論点は、「中国にも科学革命は17世紀に存在したが、我々は西洋と中国の科学革命を政治・経済・社会の視点に細分化して理解するにはまだ程遠い」というものだ。ジョン・フェアバンク**の主張は、中国の政治制度が科学発展の障害であったとする。 文化的要因が『科学』と呼びうるものの発達を妨げたというニーダムの仮説には賛同者が多い。中国の知識人が自然界の法則性を信じる障害になっているのが、宗教・哲学の枠組であるというものだ。 中国人は自然界の法則性を否定しないが、それは合理的人格的存在(天帝)が命じた規律ではなく、合理的人格的存在がかつて布告した天与の法則のコードを、地球的な小さな言語体系で解読しようなどとは思いもしなかったのだろう。道教徒も洞察対象である宇宙の複雑さと神秘性を前にしてそのような仮定をするのはあまりに素朴すぎると軽蔑しただろう。 — ジョゼフ・ニーダム、 同様な土壌が伝統医療の背景となる哲学全般にもみられる。その哲学は古来の中国の信仰を反映した道教思想に由来する。そこでは各個人の経験は環境に対してあらゆる影響を発揮する主因的原理となる。これは科学的方法以前の論理であり、科学的思考によりさまざまな批判を受けてきた。そのため解剖学や組織学の観点から経穴や経絡の存在を物理的に検証しうる、たとえば皮膚の伝導性がしかるべき点で増大するとしても、懐疑派の哲学者ロバート・キャロルなどは、『メタフィジカルな主張と経験的主張を混同する』という理由で鍼灸術を疑似科学とみなす。 鍼灸術やその他の手段による気の解放が病気治療に効果があることを、科学研究により立証することはいかなる手段を使っても不可能である。その理由は気が経験科学の方法では検知不能と定義されているからだ。 — 近年の歴史家は政治や文化の側面からの説明に疑問を呈してきた。また、経済的原因により焦点を当ててきた。マーク・エルヴィン(英語版)が提唱する「高水準均衡の罠(英語版)」は、この考え方に沿った例であり、ケネス・ポメランツの論議と同様、新大陸から得られた資源がヨーロッパと中国の発展に決定的な差をつけたというものだ。そのほかに海禁や文化大革命などの出来事が重要な時機に中国を孤立させてきたとする。
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