神使の精進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)
御頭郷に当たった村には上社の神印が押された御符(みふ)が授けられ、村境に境締めの幣帛が立てられる。神長が神使(おこう)のために新造された精進屋(お贄場、御頭屋とも)にミシャグジを降ろし、神使とその従人、鹿人(ろくびと、料理人)等が2月上旬から30日間、この中に厳しい精進潔斎を行う。物忌みの期間中、女性との交接や触穢は禁じられている。もし違反する時は、ミシャグジの祟りがあると信じされていた。 精進初めの日には神長が鹿の皮を敷き、鹿の足を載せたまな板を置き、神使にミシャグジをつける儀式を行う。透き烏帽子・狩衣を着た神使たちは神長から「極意の大事」の印相と呪文を授けられる。心身を清浄に保つのが重要であるため、10日ごとには装束と、精進屋にある畳や調度品等がすべて取り替えられ、火も毎日3度改めた。行水は初めの10日間は1日1回、その次の10日間は1日2回、そして最後の10日間は1日3回を取った。そればかりでなく、『上社物忌令』では精進屋に入る前に「七日の精進」が定められている。御頭郷全体にも禁戒が定められ、諏訪社の社殿造営(現在の御柱祭)と同様に奉仕期間中は祝い事(元服・結婚など)や葬式が禁じられた。 精進屋の前に設置された鳥居型の御贄柱(おんね柱)に付いている25本の串には贄の鹿肉が大量に掛け並べていた。 境締めは今でも御頭郷となる地区の境に立てられている。御室や神使関連の神事のほとんどが廃止してしまったため、現存する諏訪大社の神事の中でミシャグジが登場するのはこれだけである。 精進期間が終わると神使が精進屋から出て、神長が「ミシャグジ上げ」(神返し)をしてから精進屋は撤去される。神長は精進満行の証として神使の首に「結麻(ゆいま)」(結袈裟と似たものと思われる)を懸けて、また別に印相・真言を授与した。しかし神使の精進生活はこれで終わったわけではなく、江戸時代の記録では神長家の敷地(現在の神長官守矢史料館)にある潔斎屋に神長ともども7日間籠った。つまり精進屋に入る前に7日間、忌明けの最後に7日間潔斎をしたということになる。こうして忌み籠りの生活を終えた神使たちは大祝の身代わりにふさわしく聖化されたものとなる。 神使たちは本宮に参詣して、若芽のカワヤナギの幣を4束ずつ奉納してから、諏訪明神の御正体(大祝)の代理となったという旨の申し立てをする。 二月晦日。荒玉の社の神事。当年の神使六人(上﨟四人・下﨟二人)、童子を直垂を着して出仕、饗膳あり。当人の経営なり。是則ち正月一日の御占に任て、氏人を差し定めて、其の子孫の中に婚姻未犯の童男を立て、来月初午以前、三十ヶ日の日限を点じて、面々新造の仮屋をかまへ、精進を初む。先ず神長此の室に望みて、御作神と云ふ神を立て、神使の食物、飯・酒・魚鳥の上分をたむけて、日々行水・散供・祓の儀、厳重なり。随逐の禄人已下、従類相共に潔斎す。此所に女人の経廻をとどむ。若し触穢ある時は、此の神必ずたたりをなす。鳥犬に至るまで其の罰を被る。不思議の事なり。 三月以後、大祝の左右に随ひて、明年正月一日に至るまで神事を取り行ふ。当社末社の内、若宮・児宮まします。神代童体のゆえある事等なり。 — 『諏方大明神画詞』「諏方祭 巻第一 春上」
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