神使御頭之日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 15:03 UTC 版)
享禄元年(1528年)から天文23年(1554年)まで、年ごとに御頭役を務めた神職や郷名を記録している。天文4年(1535年)の武田信虎と諏訪碧雲斎が甲信国境である境川に参会し上社宝錫を鳴らし和平を行ったことをはじめ、晴信期の諏訪侵攻に到るまで関係する事件についても記されている。 守屋家には原本が伝わっていたとされ、『信濃史料』『新編信濃史料史料』においてはこれに基づいて翻刻が行われているが、原本の存在は現在確認されていない。『山資』6では文化14年(1817年)写本に基づいて翻刻している。
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