研究所立ち上げ
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アメリカから1945年に帰国したルイは、ビジネスマンのハイメ・カンポマールの援助を得て1947年にウッセイとともに私立研究所(Instituto de Investigaciones Bioquímicas de la Fundación Campomar‐カンポマール基金生化学研究所)を設立し、所長に就任した。建物は、ホールを中心に5つの研究室・中庭・更衣室や浴室・キッチンを持った立派なものだった。 この研究所は1949年頃には資金難に見舞われていたが、ルイを中心とし、肝臓内部での脂肪酸の酸化還元反応やイーストの糖合成を化学的に説明する根拠を明らかにするなどの業績をあげた。また、J. M. ムニョスと共同で、科学研究で初めて得られた活性な無細胞系を作り出した。これは、従来の細胞研究に携わる多くの科学者たちが、生体から切り離すことが不可能と考えていた酸化反応であった。ルイとムニョスはこの成果を得る研究において、細胞の内容物を分離するために必要な高価な遠心分離機を入手できず、塩と氷を詰め込んだタイヤを回転させて代用する工夫もしていた。開所した年に組まれたRawell Caputo、Enrico Cabib、Raúl Trucco、Alejandro Paladini、Carlos Cardini、José Luis Reissigらをメンバーとするチームは、腎機能不全とアンギオテンシンが高血圧症を引き起こすメカニズムを解明した。また研究所のローウェル・カピュートは、乳腺の研究を通じて炭水化物が貯蔵され、それがエネルギーの状態に変換され貯蔵される流れを発見した。 1948年初頭、ルイと彼のチームは、糖ヌクレオチドが炭化水素代謝の基礎となることを発見し、生化学分野におけるカンポマール研究所の名を世界中に知らしめ、彼自身もアルゼンチン科学学会賞を授与された。この前後、ルイたちは糖タンパク質の研究に打ち込んでおり、その成果としてガラクトースが新陳代謝されるメカニズム(これはルロワール経路(Leloir pathway)と命名された)の主な流れを明らかにし、ガラクトース血症が遺伝子疾患を原因とする乳糖不耐症がもたらす疾患だと結論づけた。 翌年、ブエノスアイレス大学自然科学部長のローランド・ガルシアの要請に応じ、ルイとCarlos Eugenio CardiniとEnrico Cabibの三人は、学内に新設される生化学研究所の事実上の教授に就任した。この研究所はアルゼンチンの各大学が取り組む研究開発をサポートするだけではなく、アメリカ・日本・イギリス・フランス・スペインやラテンアメリカ諸国などから優秀な研究者を招くために設立された。出資者であったカンポマールは1957年に亡くなったが、支援を要請したアメリカ国立衛生研究所からあっけない程に出資の承諾を受け、研究を続けることが出来た。さらに1958年にはアルゼンチン政府の援助を受け、研究所は元女子校だった敷地に移転した。ルイが設立し、多くの仲間とともに数々の業績を世に送り出した研究所は、アルゼンチンの研究協議会やブエノスアイレス大学と密接に連携を取りながら、今も数々の卓越した研究成果を成し遂げ続けている。
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