石つぶて
『水滸伝』(百二十回本)第70回 宋江の軍が東昌府を攻めるが、東昌府には石つぶての名手没羽箭張清(ぼつうせんちょうせい)がおり、馬を飛ばせて石を投げ、たちまち梁山泊の大将15人に傷を負わせる。軍師呉用が計略を用い、張清を河へ落として捕らえ、張清は投降して梁山泊の一員となる。
★1b.銭形平次の「投げ銭」は、没羽箭張清の石つぶてにヒントを得たものである。
『銭形平次捕物控』(野村胡堂)「金色(こんじき)の処女(おとめ)」 銭形平次は難しい捕り物に出くわすと、2~3間飛びすさって腹巻から鍋銭を取り出し、曲者の面体めがけて投げつける。そして、相手がひるんだところにつけ入って捕らえる。将軍家光(=実は与力笹野新三郎の変装)が毒を飲まされそうになった時には、平次は小判を投げて茶碗をくつがえした〔*銭形平次シリーズの第1作〕→〔金(きん)〕5b。
『椿説弓張月』前篇巻之1第2回 豊後国の猟師・紀平治は、鳥・獣をとるに際して弓矢剣戟を用いず、石つぶてでねらい撃って、百発百中だった。およそ8町(800~900メートル)の内にねらいを定めて撃つ時は、どのような疾(と)き鳥・勇(たけ)き獣であっても、必ず打ち殺した。そのため人々は、彼を「八町礫(つぶて)の紀平治」と呼んだ。紀平治は、鎮西八郎為朝の従者となった。
『雁』(森鴎外)22 不忍池の雁に石を投げて打ち当てよう、と石原が言うので、岡田は「かわいそうだから逃がしてやる」と言って、雁に当らぬように石を投げる。ところが、案に相違して石は当り、雁は死ぬ〔*その頃、無縁坂ではお玉が、岡田に言葉をかけ家へ招き入れるべく、彼の散歩の帰りを待っていた〕。
『城の崎にて』(志賀直哉) 「自分」は、致命傷になるかもしれぬ怪我の養生で(*→〔温泉〕2c)、城の崎温泉に滞在する。ある夕方、「自分」は小川沿いを歩き、対岸の石上のいもりを見る。いもりを驚かせて水に入れようと思い、「自分」は石を投げる。当てるつもりがなかったのに、石はいもりに当り、いもりは死ぬ。いもりが死んだのも、「自分」が死ななかったのも、ともに偶然だ、と思われた。
『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻1-7「狐四天王」 米屋門兵衛が山道を通った時、白い小狐が集まっていたので、何気なく石を投げると1匹に当り、死んでしまった。仲間の狐たちは「お姫様を殺した者はただでは置かぬ」と怒り、門兵衛と家族を丸坊主にした→〔坊主頭〕2。
★3.婚礼の夜、その家に近隣の人が石つぶてを打ちつける風習。
『懐硯』(井原西鶴)巻1-4「案内しつてむかしの寝所」 淡路島の漁民の妻が、同じ浦の木工兵衛と再婚した夜、酒宴の最中に、近隣の人々が、みすぼらしい板戸に何度も石つぶてを投げつけて驚かした。悋気はどこの国でも変わらぬものだった→〔帰還〕3。
『懐硯』(井原西鶴)巻3-1「水浴は涙川」 半僧半俗の旅人伴山が伊勢の山田に泊まった夜、人々が五十鈴川の小石を拾い、婚礼のあった家の門口・蔀に投げつけて、天の岩戸も破れるほどの音がした。「イザナキ・イザナミの神婚以来、人は皆悋気からこのようにつぶてを打つのだ」と伴山は笑った。
★4.石を投げつけて人を殺す。
『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第3章 トロイア戦争時のギリシア軍陣中。オデュッセウスはパラメデスを恨み(*→〔兵役〕3b)、彼を「裏切り者」と思わせる手紙を造って、落としておく。そして、パラメデスのテント内に金を埋める。総大将アガメムノンが手紙を読み、金を見つける。アガメムノンは、パラメデスを石で打ち殺すよう、部下たちに命じる。
『使徒行伝』第7章 12使徒が、信者たちに食物を分配する7人の執事を選び、その1人がステパノ(ステファノ)だった。ステパノは信仰と精霊に満ちた人で、ユダヤ教徒が預言者を迫害したこと・イエスを殺したことを、公然と非難した。民衆は怒り、石を投げつけてステパノを殺した〔*ステパノは、キリスト教の最初の殉教者である〕。
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