矢田 (大阪市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 01:57 UTC 版)
矢田
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矢田駅西口 (2019年12月28日)
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北緯34度36分8.28秒 東経135度31分43.43秒 / 北緯34.6023000度 東経135.5287306度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 東住吉区 |
面積 | |
• 合計 | 0.823138344 km2 |
人口 | |
• 合計 | 6,316人 |
• 密度 | 7,700人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
546-0023[3]
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市外局番 | 06(大阪MA・1〜6丁目) 072(堺MA・7丁目)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
矢田(やた)は、明治時代の古地図によると矢田村で矢田部、矢田部富田、北山、南山、枯木、住道。大阪府大阪市東住吉区にある町名。現行行政地名は矢田一丁目から矢田七丁目、公園南矢田一丁目から四丁目、鷹合一部、照ケ丘矢田一丁目から四丁目、住道矢田一丁目から九丁目。当項目では、狭義の「矢田」でもある同区矢田一丁目から矢田七丁目について記述することとし、公園南矢田、鷹合、照ヶ丘矢田、住道矢田に関しては各々の項目を参照されたい。
地理
東住吉区の南西部に位置し、六丁目と七丁目の間に大和川が流れていて、六・七丁目の間には陸続きしていないが、橋が架かっているので、行き来は可能である。一〜六丁目の東の北側に照ケ丘矢田、南側に住道矢田、西に公園南矢田、北に鷹合が接する。大和川以南の七丁目の周囲は松原市と接しているが、特に七丁目にある阿麻美許曾神社と同神社の南側にある参道だった部分(旧府道26号)が、約370mにわたり松原市天美西三丁目・二丁目と天美北七丁目・天美東九丁目に挟まれた細長い区域となって七丁目に属している。これは同神社とその参道が矢田村氏神になることから残されたものとされている[5]。
歴史
沿革
1955年、矢田村が東住吉区に編入される。1960年頃大阪市東住吉区矢田矢田部町、矢田富田町、矢田枯木町、矢田住道町成立[6]
矢田部落
被差別部落の矢田地区は1955年に矢田村が大阪市に編入される以前は大阪府中河内郡矢田村に属し、字を富田と称していた[7]。
矢田部落は江戸時代の中ごろ、1704年に行われた大和川付替え工事によって水没した城蓮寺村領内、枯木村支配のかわたと呼ばれる被差別民が新大和川で断ちきられ干あがった西除川の河床(富田新田)を代替地として与えられ、移住させられてできたものである[8]。農地として適さない荒地をかわた部落の人々は開墾していった[8]。以後富田新田は穢多村として城蓮寺村の支配下に入った[8]。
- 産業
富田新田の人々は死牛馬の処理を中心に様々な仕事についた[8]。明治期の矢田部落の仕事の中心は江戸時代に引き続き、履物業と博労業だった[8]。履物業では明治前期には下駄表の製造が隆盛をきわめた[8]。明治中期になると下駄表は不振となり雪駄表がさかんとなった[8]。矢田部落の有力者の多くはその問屋だった[8]。
牛馬取扱い業がいつ頃から始まったか明らかでないが、幕末期には既に近在農家を相手とした牛馬仲買の大きい専業者がいた[9]。その屠殺はこの部落で行われず、屠殺牛の多くは近くの更池部落に運ばれた[9]。博労で有力だったのは石橋、田村、村上の3家である[9]。3家のうち最も大きく伸びた田村家は矢田村の内外を合して6、7町歩の田畑と数10戸の借家をもつ高利貸し的地主となった[9]。
青物行商は昭和期に入るとますます増え、1932年ごろには矢田部落に2つの常設市場が造られ、青物行商人が100人近くいたという[9]。また綱貫靴や太鼓張などの皮革細工も少しは行われた[8]。「住吉屋」住田家は、先進地で膠生産技術を習得したものを雇入れて膠工場をはじめた[9]。「住吉屋」は明治末から大正期に栄えた[9]。
- 共同浴場
1902年、博労地主や履物問屋に指導され、共同浴場の建設が行われた[9]。出資者の名簿は浴場前の広場に据えられている顕彰碑から知ることができる[9]。顕彰碑に刻まれているのは石橋、村上、田村、大谷、南田、大谷、山崎、今井、沢井、森野、石田、山口の12名で、「村方十二人衆」といわれ、彼らは浴場を管理し、部落会を構成する中核で、浴場の敷地は彼らの共有持株であった[9]。
部落解放運動
矢田における戦後の部落解放運動は、1951年の「結婚差別事件」をきっかけに1952年発足した「矢田村富田青年会」によって始まる[8][10]。
1954年の「硫酸事件」への取り組み、全国初の自動車運転免許証取得運動、1956年の「金属屑営業条例」反対闘争、1958年の「住宅要求期成同盟」の結成、「生業資金獲得期成同盟」の結成を経て部落解放同盟矢田支部が結成される[10]。
事件
経済
産業
- 店舗・企業
- 眼鏡市場 東住吉矢田店(1丁目)
- スシロー 東住吉店(2丁目)
- 万代 矢田店(2丁目、スーパーマーケット)
- ダイレックス 矢田南店(5丁目、ディスカウントストア)
- 東住吉矢田五郵便局(5丁目、日本郵政グループ)
- 肉の北大谷(6丁目)
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
矢田一丁目 | 56事業所 | 722人 |
矢田二丁目 | 72事業所 | 872人 |
矢田三丁目 | 16事業所 | 159人 |
矢田四丁目 | 41事業所 | 247人 |
矢田五丁目 | 15事業所 | 398人 |
矢田六丁目 | 13事業所 | 252人 |
矢田七丁目 | 15事業所 | 274人 |
計 | 228事業所 | 2,924人 |
世帯数と人口
2024年(令和6年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
矢田一丁目 | 943世帯 | 1,345人 |
矢田二丁目 | 1,266世帯 | 1,685人 |
矢田三丁目 | 633世帯 | 830人 |
矢田四丁目 | 835世帯 | 1,172人 |
矢田五丁目 | 138世帯 | 212人 |
矢田六丁目 | 448世帯 | 768人 |
矢田七丁目 | 222世帯 | 304人 |
計 | 4,485世帯 | 6,316人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 7,453人 | [12] | |
2000年(平成12年) | 7,071人 | [13] | |
2005年(平成17年) | 6,814人 | [14] | |
2010年(平成22年) | 6,472人 | [15] | |
2015年(平成27年) | 5,822人 | [16] | |
2020年(令和2年) | 6,005人 | [17] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 3,832世帯 | [12] | |
2000年(平成12年) | 3,829世帯 | [13] | |
2005年(平成17年) | 3,815世帯 | [14] | |
2010年(平成22年) | 3,770世帯 | [15] | |
2015年(平成27年) | 3,294世帯 | [16] | |
2020年(令和2年) | 3,513世帯 | [17] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[18]。なお、小学校・中学校入学時に学校選択制度を導入しており、通学区域以外に東住吉区の小学校・中学校から選択することも可能[19]。
丁目 | 番 | 小学校 | 中学校 |
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矢田一丁目 | 全域 | 大阪市立矢田小学校 | 大阪市立矢田南中学校 |
矢田二丁目 | 全域 | ||
矢田三丁目 | 全域 | ||
矢田四丁目 | 全域 | ||
矢田五丁目 | 全域 | ||
矢田六丁目 | 全域 | ||
矢田七丁目 | 全域 |
交通
鉄道
バス
- 大阪シティバス[20]
- 4号系統:鷹合四丁目
- 54A・54B・54D号系統:矢田行基大橋 - 矢田南中学校前 - 矢田一丁目公園南
- 北港観光バス[21]
- あびこ天美北線:あまみ神社前 - 久多美神社前 …… パークサイドなごみ前
道路
施設
- 大阪市東住吉区役所 矢田出張所(6丁目)
- 東住吉警察署 矢田駅前交番(4丁目)
- 東住吉消防署矢田出張所(6丁目)
- 大阪市立矢田小学校・矢田南中学校(3丁目) - 小中一貫校
- 大阪府立東住吉支援学校(5丁目)
- 大阪芸術大学短期大学部(2丁目)
- 日本写真映像専門学校(1丁目)
- 阿麻美許曾神社(7丁目)
- 矢田部公園(1丁目)
- 枯木南公園(7丁目)
- 矢田中公園(3丁目)
- 矢田中中央公園(4丁目)
- 矢田教育の森公園(5丁目)
- 矢田6公園(6丁目)
- 大和川東公園(5丁目)
- 市民交流センターひがしすみよし(5丁目) - 2015年度末に閉館[22]。
- 矢田青少年会館(5丁目)[23]
- 矢田生活協同組合(5丁目)[25]
- ラスパOSAKA(5丁目) - 複合温泉施設。2010年3月末に閉館[26]。大阪市が126億3000万円をかけて建設したが、温泉浴利用者が2008年度で目標の1割程度と大幅に下回り、開業以来、赤字が続いていた[26]。
出身・ゆかりのある人物
- 石橋十二郎(博労、地主)
- 市原硬(医化学者、大阪大学名誉教授) - 住所が矢田[27]。
- 市原明(生化学者、徳島大学名誉教授) - 市原硬の息子。
- 西岡智(部落解放・人権研究所名誉理事) - 1958年、部落解放同盟矢田支部を結成し、初代書記長。大阪府連書記長、副委員長、中央本部執行委員、書記次長などを歴任する[28]。
- 桝井茂夫(矢田村長、矢田村農業会長)
- 桝井安太郎(矢田村長、矢田村農業会長)
- 松田秀(矢田村長、兵庫県武庫郡芝村長)
名所・旧跡
- 「下高野街道土木竣工」の碑 - 矢田5丁目の戎温泉前にあったが現在、下高野街道の約400m西にある公園南矢田3丁目の矢田冨田町墓地に設置されている[29]。石碑には「主唱者 村長 松田秀、地主総代 大谷弥三郎」以下4人の姓名が刻されている[30]。
その他
日本郵便
市外局番
一丁目から六丁目はその他大阪市内同様の06(大阪MA)であるが、大和川以南の七丁目は、松原市と同じ堺MAに属しており072となる。同様の事例は同じく大和川以南の平野区長吉川辺四丁目にも見られる。
脚注
- ^ “大阪府大阪市東住吉区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2024年10月17日). 2025年1月9日閲覧。
- ^ a b “矢田の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “トップページ /まちづくり/まち歩き・歴史講座/東住吉100物語/寺社・史跡・伝承/ 003 阿麻美許曽神社”. 大阪市東住吉区 (2020年12月17日). 2021年11月28日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1220.
- ^ 『大阪同和教育史料集 第4巻』581頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『矢田のあらまし』2 - 13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大阪市東住吉区矢田部落調査報告』33 - 41、68 - 69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月24日閲覧。
- ^ a b 『市同促協創立50周年記念誌 50年のあゆみ』366頁。
- ^ “令和3年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2024年12月21日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2024年3月10日閲覧。
- ^ “通学区域一覧” (PDF). 大阪市東住吉区 (2019年8月27日). 2019年12月24日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ “「東住吉区学校案内(令和2年4月入学者対象)」を作成しました”. 大阪市東住吉区 (2019年8月27日). 2019年12月24日閲覧。
- ^ “大阪シティバス路線図”. Osaka Metro (2020年4月1日). 2020年7月24日閲覧。
- ^ “あびこ天美北線”. 北港観光バス. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “まちづくりビジョン(案)からの修正箇所対照表” (PDF). 大阪市. 2025年6月23日閲覧。
- ^ a b 市民利用施設の今後のあり方(分析経過報告) 6頁、2005年11月市政改革本部。2021年6月4日閲覧。
- ^ 『大阪府解連協 設立10年のあゆみ』 大阪府解放会館名簿242頁。2021年6月4日閲覧。
- ^ 生協一覧 大阪府公式サイト。2021年11月20日閲覧。
- ^ a b “ラスパOSAKA 複合温泉施設、3月末で廃止/大阪”. 公益社団法人 全国水利用設備環境衛生協会 (2010年1月26日). 2025年6月23日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第25版 上』い306頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月21日閲覧。
- ^ 西岡 智氏を追悼する(解放1288号5面)。
- ^ “040 下高野街道”. 東住吉区 (2024年11月6日). 2025年6月26日閲覧。
- ^ 『大阪市の旧街道と坂道 増補再版』149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年6月26日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2019年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年11月4日閲覧。
参考文献
- 『大阪市東住吉区矢田部落調査報告』大阪府同和問題研究会、1963年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 『大阪府解連協 設立10年のあゆみ』大阪府解放会館連絡協議会、1981年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 27 大阪府』角川書店、1983年10月。ISBN 4-04-001270-4。
- 「矢田のあらまし」編集委員会 編『矢田のあらまし』矢田同和教育推進協議会、1985年。
- 大阪同和教育史料集編纂委員会 編集『大阪同和教育史料集 第4巻』部落解放研究所、1985年。
- 旧街道等調査委員会 編『大阪市の旧街道と坂道 増補再版』大阪市土木技術協会、1987年。
- 『市同促協創立50周年記念誌 50年のあゆみ』大阪市人権協会市同促協創立50周年記念事業実行委員会、2003年。
関連項目
- 矢田_(大阪市)のページへのリンク