監督初期とは? わかりやすく解説

監督初期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:34 UTC 版)

小津安二郎」の記事における「監督初期」の解説

1927年11月蒲田時代劇部は下加茂撮影所合併されたが、小津蒲田残り以後現代劇監督として活動することができた。しかし、小津早く監督になる気がなく、会社からの企画6、7断ったあと、ようやく自作オリジナル脚本監督2作目の『若人の夢』(1928年)を撮影した当時松竹蒲田城戸方針で、若手監督習作の意味兼ねて添え物用の中・短編喜劇を作らせており、新人監督小津そうした作品立て続け撮影したが、その多く学生会社員主人公ナンセンス喜劇だった。1928年は5本、1929年は6本、1930年生涯最高となる7本もの作品撮りめまぐるしいほどのスピード製作となった徐々に会社からの信用高まりトップスター栗島すみ子主演正月映画結婚学入門』(1930年)の監督任されるほどになった。『お嬢さん』(1930年)は当時小津作品にしては豪華スター配した大作映画となり、初めキネマ旬報ベスト・テン選出された(日本現代映画部門2位)。 1931年松竹土橋トーキー採用して日本初国産トーキーマダムと女房』を公開しそれ以来日本映画次第トーキーへと移行していったが、小津1936年までトーキー作品作ろうとはしなかった。その理由コンビ組んでいたカメラマン茂原英雄が独自のトーキー方式研究していたことから、それを自身初のトーキー作品で使うと約束していたためで、後に小津日記に「茂原氏とは年来口約あり、口約果たさんとせば、監督廃業にしかず、それもよし」と書いている。小津茂原式が完成するまでサイレント映画撮り続け松竹採用した土橋式はノイズ大きくて不備があるとして使用しなかった。しかし、サイレント作品のうち5本は、台詞はないが音楽付いているサウンド版公開されている。 1930年代前半になると、小津批評家から高い評価を受けることが多くなった。『東京の合唱』(1931年)はキネマ旬報ベスト・テン3位選ばれ佐藤は「これで小津名実ともに日本映画界の第一級監督として認められるようになったと言える」と述べている。『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年)はより高い評価を受け、初めキネマ旬報ベスト・テンの1位に選ばれた。さらに『出来ごころ』(1933年)と『浮草物語』(1934年)でもベスト・テンの1位に選ばれた。1933年9月には後備役として津市歩兵第33連隊入営し毒ガス兵器を扱う特殊教育受けた10月除隊する京都師匠大久保井上金太郎らと交歓し、井上紹介気鋭新進監督だった山中貞雄知り合い、やがて二人深く心を許し合う友となった新し出会い一方1934年4月には父寅之助を亡くした。父が経営した小津地所部の後を継ぐはおらず2年後家族深川の家を明け渡すことになり、小津と母と弟の3人で芝区高輪引っ越した小津一家大黒柱として、家計や弟の学費背負ったが、この頃金銭的に最も苦し時期となった1935年7月小津演習召集のため、再び青山近衛歩兵第4連隊に3週間ほど入隊したこの年日本文化海外紹介するための記録映画鏡獅子』(1936年)を撮影し初め土橋式によるトーキー採用した1936年3月小津日本映画監督協会結成加わり協会通じて溝口健二内田吐夢田坂具隆などの監督親しくなった。この年茂原トーキー完成し小津約束通り一人息子』(1936年)で採用することを決め同年蒲田から移転した大船撮影所撮影することを考えたが、松竹土橋トーキー契約していた関係で大船撮影所を使うことができず、誰もいなくなった蒲田撮影所撮影した1937年土橋式で『淑女は何を忘れたか』を撮影したあと、自身考えていた原作『愉しき哉保吉君』を内田吐夢譲り同年に『限りなき前進』として映画化された。9月には『父ありき』の脚本書き上げたが、執筆利用した茅ヶ崎市旅館茅ヶ崎館」は、これ以降作品でもしばしば執筆利用した

※この「監督初期」の解説は、「小津安二郎」の解説の一部です。
「監督初期」を含む「小津安二郎」の記事については、「小津安二郎」の概要を参照ください。

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