監督勇退後
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勇退後は1996年2月7日に同年4月27日から行われるAAA野球選手権大会の日本代表監督に就任した。1997年5月から日本高野連の委員を務め、講演活動などを通して後進の育成に力を注いだ。また、高校野球の民放テレビ・ラジオの実況解説者を務め、「そうですねえ」という口癖が特徴的であった。特に引き分け再試合として大きな話題となった2006年の第88回選手権大会の決勝戦(駒大苫小牧対早稲田実)では、ABCラジオの解説を2試合とも務めたが、奇しくもABCテレビで同試合の解説を務めたのは、27年前に熱戦を繰り広げた星稜高校元監督・山下智茂だった(2007年も同様だったがテレビ中継は横浜高校監督の渡辺元智とのダブル解説だった)。2008年の第90回全国高等学校野球選手権記念大会の決勝戦では山下智茂元監督とABCテレビの解説を務め、ダブル解説が実現した。 2008年度に日本高校野球連盟より育成功労賞を受賞している。同年8月15日に甲子園球場で表彰式が行われ、箕島のユニフォームを着用して出席している。 2010年、甲子園歴史館顧問に就任。同年9月23日、31年前の箕島対星稜戦の再戦が甲子園球場で行われたが、病身により車いすで甲子園に姿を現している。 2011年1月23日に和歌山市内のホテルで催された東尾修の野球殿堂入り記念パーティーには出席できず、東尾に向けて「故郷の仲間やお世話になった方々を忘れずにご恩返しも兼ねて頑張ってくれ」というメッセージを録音テープで寄せたのが、公の場での最後の肉声となった。 2011年3月6日、膀胱がんにより死去。68歳没。戒名は「顕球院観空公道居士」。墓所は和歌山県有田郡湯浅町の竹林寺にある。
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