番組冒頭のあいさつなど
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 03:41 UTC 版)
「アップダウンクイズ」の記事における「番組冒頭のあいさつなど」の解説
小池が司会を務めていた時代は「ハワイへのご招待。10問正解して、夢のハワイへ行きましょう! ロート製薬がお送りするアップダウンクイズ、私は司会の小池清でございます」に続き、 小池 「問題を読むのは佐々木さんです」 佐々木 「皆さん、こんばんは(お元気でいらっしゃいますか)。佐々木美絵です、どうぞよろしく(お願いします)」(後期は「問題を差し上げます、佐々木美絵です」とアナウンス)というあいさつで番組が始まった。 後に、海外旅行が大衆化したことにより、「夢のハワイへ行きましょう!」の部分は「さぁ、ハワイへ行きましょう!」と変わった。 オープニングテーマ曲が流れ終わると小池はゴンドラの前に立ち、上半身を画面アップ状態で挨拶をした。ネットチェンジからしばらくしてオープニング曲が変更されてから、小池は司会者席に座ってあいさつをするようになった。 解答者の紹介が終わると、小池時代は、「それでは、日航機によりますハワイ旅行を目指して、大いに頑張っていただきましょう!」というセリフで一問目に入った(司会が西郷になってからは「日本航空で行くハワイをめざして、皆さんしっかり頑張って下さい!」と言っていた)。 西郷が司会となってから、タイトルコール・出場者紹介と結果発表のアナウンスを、当時毎日放送の新人アナウンサーだった柏木宏之が担当した(1984年9月限りで降板)。 西郷前期では柏木アナウンサーによる「ロート製薬提供、(新)アップダウンクイズ! 司会・西郷輝彦!」のオープニングコールに続き、客席内のゲートから西郷が入場。 司会者と出題者のあいさつは普通の形になっていたが、タイトルを元に戻してからしばらくして「ロート製薬提供、アップダウンクイズ!」という西郷のオープニングコールの後に小池と同じ登場パターンに戻している。出場者の紹介では西郷が解答者と握手する演出があったが、タイトルを元に戻してからは解答者の自己紹介に変更された。 西郷司会期の、スチュワーデス大会やコンパニオン大会では、解答者が最初から解答席に座らずに直立で並列する演出が取られた。 NET系列での最終放送日となった1975年3月30日は、番組最後に小池が「東京地区でご覧の皆様は、来週からは6チャンネル・TBSテレビでご覧下さい」とアナウンスしていた。 なお、NETからTBSへのネットチェンジ後、TBS系列での1回目の放送である1975年4月6日の放送では番組冒頭に小池が「それでは、ここで簡単にルールをご説明いたします。まず問題が出ます。そしてなるべく早くボタンを押していただいて、正解されますとゴンドラが1段上がります。よろしいですね!」と紹介し、また、2回目の放送となった1975年4月13日放送でも「それでは、先週からご覧になっている皆様に、ここで簡単にルールをご説明いたします」とほぼ同様の紹介をしていた。 また、次回の予告(ゲスト特集等がある回のみ)と番組終了時、当時毎日放送アナウンサーだった吉田智子による「アップダウンクイズ 第○○○回を終わります。提供は、ロート製薬でございました」というアナウンスもおなじみだった(終了時のエンドカードは、ブルーバックに「アップダウンクイズ」の白抜きタイトルロゴが右揃え(上:アップダウン、下:クイズ)でレイアウトされ、左下に白抜きで幅が狭い明朝体で“終”と書かれていた)。 1984年4月8日から1985年10月6日(最終回)までは、「アップダウンクイズを終わります」に変わった(後番組の『クイズ!!ひらめきパスワード』でも同様に継承された)。 番組のクレジットタイトルは、1970年代までは「アップダウンクイズ 終」のエンドカード前に、青地に白抜きゴシック体で「構成*堤章三 音楽*○○○○」と入るのみだったが、ゴンドラが色分けされてからは番組エンディング時にスタッフロールがナール書体で左方向に表示されるようになった。
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