用語の用法
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英語の gizzard という語は、俗語的に腸、あるいは臓物一般の意味で用いられることもある。日本語の「砂嚢」にはそういった混用はないが、砂嚢の俗称としての「砂肝」には「肝」の字が含まれるため、ときおり誤用が見られる。
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用語の用法
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「支那」という用語の用法としては以下のようなものがある。 漢民族とその土地・文化等に用いられる、王朝や政権の変遷を超えた国号としても使用可能な通時的な呼称。 種族や民族を問わず、中華民国およびその関連政権、または中華人民共和国という国家と、その国民に関連する事象に用いられる呼称。 中国では王朝が変わると国号も変わったが、秦の滅亡後も、周辺の諸民族は「あの国はチンだ」と呼び続けた。インド、ペルシャ、アラビアなどでも中国を「秦」系統の言葉で呼ぶようになった(「チーン」、「チーナ」、「シーナ」)。 日本では、歴史的に中国に言及する際に「明」「清」など王朝の名前を使っていたが、王朝を越えた名称として「中華(ちゅうか)」や「中土(ちゅうど)」などの表現も用いられ、「支那」も後者の一種であった。 2.の「中華民国」という国家に対する呼称としては、後述のように1930年(昭和5年)に日本に呼称を言い換えるように要請があり、それに応じて「支那共和国」に代えて「中華民国」を用いる閣議決定がなされている。第二次世界大戦中にも、汪兆銘政権への配慮から「中華民国」を用いるべきとされ、さらに1946年(昭和21年)、改めて外務省より「中華民国」を用いるよう通達が出されている。ただし、民間などで中華人民共和国に対しても支那と呼称する者は存在する。 辛亥革命以前の共和主義運動の中では、漢民族主義や、清朝の領土のうち漢人の土地の部分(中国本部、チャイナ・プロパー)のみを領土とする国家を追求する主張もみられたが、1911年以降、実際に共和政権が樹立されるにあたっては、モンゴル、チベット、東トルキスタン、満洲などを含む、清朝の遺領をそのまま枠組みとする領域が領土として主張され、また「中国」という多民族国家がこの領域を単位として古来から一貫して存在してきたという歴史認識が採用されることになった。 清を打倒して成立した中華民国は、「シナ」だけでなく、その周辺のモンゴル、チベット、東トルキスタン等もその領土として主張したため、厳密に言えば、支那(シナ)と中国は、領域も住人も、その範囲には著しい相違がある。中国では、シナとその周辺の諸地域、諸民族が古くから一体の「中国」を形成してきた、という歴史認識を採用したため、シナの部分だけを指す、王朝や政権の変遷を超えた、通時的な国号を別途に設けることはしなかった。[要出典] その結果、「中国」の一部分である漢民族の土地だけに対し、ことさら「王朝や政権の変遷を超えた国号としても使用可能な通時的な呼称」を別途つけることは行われなかった。これは中華思想において周辺世界は中華世界の辺境に過ぎず異民族「四夷」が跋扈する「化外の地」とみなしており、対等の国家ではありえなかった。 そのため、歴代皇帝が統治する王朝名は存在するが、その中華秩序による国家体制概念を指し示す国家名を必要としなかった。
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