産廃の処分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:23 UTC 版)
豊島の産廃は、当初豊島の現場の海岸線を補強したうえで、現地に処分プラントを建設して1200度で焼却処分する方針であったが、最終的に香川県直島にある三菱マテリアルの施設へ移送し、14年間にわたり処理され続けた。これは直島の同事業所が直島町の基幹産業であったものの、日本国内における銅の慢性的な供給過剰等によって事業廃止の可否を含めて検討中の状態にあったことが関係している。つまり、従来の銅の回収事業の代わりに、豊島の廃棄物からの金属回収を新事業として手掛けることになった。 処理の具体的な方法の検討のため「学識経験者からなる技術検討委員会」が設置され検討された結果、直島に中間処理施設を建設し、豊島から掘り出した廃棄物を海上輸送して処理する事業計画を直島町議会に提案した。直島町長は1999年9月、公害が無い状態で処理されるなら町の活性化に繋がるとして、この提案の受け入れを表明した。 こうして2003年(平成15年)から、ようやく直島での処理が開始された。月平均5000トンの産廃が焼却処理され、残ったスラグから有価金属の回収と有害金属の除去が行われ、最終的に残ったスラグは香川県内の公共工事で使用されるコンクリートの骨材として利用された。回収される有価金属は、金、銀、銅、鉄、アルミニウムなどで、その他に石膏(セメント原料)、濃硫酸(焼却ガス中の硫黄酸化物より回収)なども回収された。これらの売却益は香川県に納付され、県の処理事業の一部に充当された。 豊島の不法投棄現場では一般市民の立入が禁止され、重機による産廃の掘り出しと、直島に産廃を移送するための梱包作業が2017年3月まで行われていた。移送は高気密性の専用海上コンテナと、これを積載して輸送するダンプカーを直島まで海上輸送するためのフェリータイプの廃棄物専用輸送船を使って行われた。 産廃物の量は、香川県が2017年1月に88万8千トンとする最終的な推計値を発表した。しかし搬出期限が迫る中、その後の精密測量調査で次々と新たな産廃が発掘され、最終的な産廃量は当初の推定50万トンを大きく上回る91万2373トン、体積61万6525立方メートルにも達し、当時国内最大級の不法投棄事件となった。2017年3月末までに費やされた公費は約727億円にも及んだ。撤去量が当初の推定よりも増えた一因は、産廃から漏れ出たベンゼンなどにより汚染された土壌も除去したためであり、それでもなお地下水の汚染問題が残っている。その後、公害調停に基づく撤去事業の期限(2017年3月末)後の2018年にも、深く埋められていたなどの理由で未発見だった廃棄物300トンが新たに発見されている。 2020年時点で、不法投棄跡地は土がむき出しの状態になっており、汚染地下水が海に漏れ出すのを防ぐ遮水壁が地中に設置されている。住民会議は2019年10月、遮水壁を撤去して自然の力で海岸の環境を修復することを求める要望書を香川県へ提出した。専門家によるフォローアップ委員会(委員長・早稲田大学名誉教授永田勝也)は2021年8月19日、地下水浄化のめどがついたとして浄化施設を2023年3月で停止する案を了承したが、その後も汚染水を池に貯めるなど作業は続く見通しで「廃棄物対策豊島住民会議」も監視継続を求めている。 その後、2021年10月17日に香川県と住民側との間で開かれた「豊島廃棄物処理協議会」で、地下水の有害物質濃度が概ね排水基準を満たしていることと、日本政府からの財政支援が2021年度末に期限を迎えることなどから、県側が住民に対し2022年度末での産廃処理事業の終了を提案し、住民側も了承したことで、処理事業の終了が事実上決定した。 2017年7月22日からサンポートホール高松で、「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物不法投棄と闘った豊島の42年展」が開催された。 産廃処理後の跡地に残された、豊島開発の事務所だった2階建ての古い建物を使用し、反対運動を続けた住民らが手作りで「豊島のこころ、資料館」(豊島住民資料館)を開き、不法投棄問題の資料展示を行っている。
※この「産廃の処分」の解説は、「豊島 (香川県)」の解説の一部です。
「産廃の処分」を含む「豊島 (香川県)」の記事については、「豊島 (香川県)」の概要を参照ください。
- 産廃の処分のページへのリンク