現役時代と梅小路蒸気機関車館内での動態保存とは? わかりやすく解説

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現役時代と梅小路蒸気機関車館内での動態保存

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:03 UTC 版)

国鉄D51形蒸気機関車200号機」の記事における「現役時代と梅小路蒸気機関車館内での動態保存」の解説

1938年昭和13年9月30日鉄道省浜松工場にて落成製造番号 25)。 同年10月6日稲沢機関区新製配置され1943年昭和18年3月9日には米原機関区へ、1945年昭和20年11月27日には大垣機関区、さらに1950年昭和25年5月10日には中津川機関区転属し、中京地区中心に使用された。その間米原機関区在籍中1945年7月29日深夜連合軍による浜松対す艦砲射撃があり、この時に本機戦災負ったC57 1違い機銃掃射による戦災ではない)。翌30日、その修繕のための臨時入場記録されている。C57 1同様、数少ない第二次世界大戦傷跡乗り越えて現代生きる貴重な車両一つである。中津川機関区在籍時代晩年1968年昭和43年)には、長野工場にて集煙装置取り付けられた。 1972年昭和47年10月5日梅小路機関区転属し、梅小路蒸気機関車館にて動態保存開始した。トップナンバー機であるD51 1が保存対象選ばれていたが、1,115両あるD51形のうち、「半流線形」「なめくじ」の愛称が付く初期型95両のうちの1両であったため、四国を除く全国各地走行したD51形では一般的なスタイルを持つ量産型の中からも1両を選抜し保存することとなり、保存機選定時に残存していたD51形の中で、状態がよく「200」というキリのいい車番であることから、本機選ばれた。梅小路機関区転属前の特別整備の際、1968年長野工場取り付けた集煙装置長野工場式)を取り外した。この関係で本機煙突通常よりも短くなっている。そして梅小路機関区所属梅小路蒸気機関車館にて有火可能の動態保存機となっていたが、1979年昭和54年3月28日に一旦、車籍を抹消(ただし有火保存)された。その後国鉄分割民営化によりJR西日本引き継がれ1987年昭和62年4月1日国鉄末期3月という説もある)に車籍復活し、梅小路蒸気機関車館構内にて、同館に所属する8630、C61 2C62 2交替で「SLスチーム号」運転を担当していた。ただし、構内運転用としての使用だったため全般検査受けずあくまでもSLスチーム号」として運用ができる程度整備留まり本線運転を行え法的整備基準満たしていなかった。「SLスチーム号としての運用の他、同館はずれの留置線使用して機関士ハンドル訓練使用機として入換扱い運転されることもあった。 2006年平成18年10月14日鉄道の日に、「小路蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物指定された。

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