独裁者・虐殺者としての曹操と三国志演義での悪役化とは? わかりやすく解説

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独裁者・虐殺者としての曹操と三国志演義での悪役化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)

曹操」の記事における「独裁者・虐殺者としての曹操と三国志演義での悪役化」の解説

詳細は「三国志演義の成立史#曹操」を参照 曹操没後百年近くたった五胡十六国時代、既に曹操批判対象にされていた。曹操の後継政権である西晋滅ぼした後趙石勒は、曹操司馬懿並べて孤児未亡人欺き騙して天下取った」(『晋書』石勒載記)と痛烈に非難している。しかし、魏の後継政権称した北魏では、曹操先代名君として、『魏書劉聡伝では「曹武削平寇讎、魏文奄有中原、於有偽孫假命於江呉、僭劉盗名於岷蜀」(曹操天下平定し曹丕中原支配したが、ニセ孫氏である呉や、ニセ劉氏である蜀が反旗を翻し三国時代になってしまった)とされていた。逆に南朝編纂された『後漢書』では、曹操悪人描こう史料改変しており、前述徐州虐殺のみならず荀彧暗殺し漢王朝乗っ取った極悪非道人物として描くことになった。この『後漢書』曹操悪人説は清の趙翼高く評価したことから有名になった。趙翼は「実は『後漢書』の記述こそ真実であり、陳寿『三国志』は晋をはばかり嘘を書いた」と『二十二史箚記』で述べた現代では『後漢書』史料改変逆に疑問の声が投げかけられており、一部では曹操評価逆転している。 『三国志演義』原型として確認できる最も初期のものとして、北宋説話あげられる。『東京夢華録』に「説三分」なるジャンルがみられ、蘇軾東坡』には、講談聞いた子供たち劉備負けると涙を流し曹操負けると大喜びしたとの記述がある。一方、その能力は特に優れており、『三国論』の著者蘇轍によると、「曹操孫権劉備三人は、その才をもって人を取り立てる知ってます。世間の人曰く、孫は曹に及ばず、劉は孫に及ばない」と評した南宋から元の頃にはこれらの物語書物にまとめられ『三国志平話』呼ばれる口語体による三国小説生まれた『三国志平話』また、曹操悪者としている。 その後羅貫中三国物語をまとめ直したものが『三国志演義』で、大まかな流れ外れないものの蜀漢陣営正統とみなし、大衆判官びいき心理への訴求儒教的脚色なされている。 また、中国は唐末・五代以降常に異民族領土蚕食され続け南宋期にそれに対す反発として大義名分正統重んじる朱子学完成されてからは長く官学としての主流となると三国志もまた正統と異端断ずる格好材料となっていった。特に南宋では、中原異民族王朝金に征服されていたこともあり、中原回復唱えた諸葛亮を自らと重ね合わせていたために魏は金と重ねあわされ悪役にされ、魏を正統王朝としていることから陳寿非難を受け、曹操多く論者によって悪とされたと、『四庫全書総目提要』は論じている。蜀を正統王朝とする『続後漢書のような史書編纂され、曹操正統王朝の漢を乗っ取った悪人として広く一般に認識された。 京劇でも曹操悪役として扱われ臉譜隈取)も悪役のそれ(二皮)である。

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