五代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 07:41 UTC 版)
長安は唐末の戦乱で荒廃したため、首都は東の洛陽に移された。唐を滅ぼして後梁を建てた朱全忠は首都をさらに東の開封に移した。これにより首都機能を失った長安の城壁は縮小され、一地方都市となった。明代に、長安への遷都論が唱えられた事があったものの、既に唐代には食料問題を内包する長安への遷都は実現せず、名称を西安(せいあん)と改称され地方都市として発展していった(現在の西安については西安の項目を参照のこと)。
※この「五代以降」の解説は、「長安」の解説の一部です。
「五代以降」を含む「長安」の記事については、「長安」の概要を参照ください。
- 五代以降のページへのリンク