特筆的な出来事
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「東京マラソン2012」の記事における「特筆的な出来事」の解説
10km走の規模が大幅に縮小された代わりとして、東京マラソン財団は新たに別イベント「東京トライアル」を前年11月26日に開催。ハーフマラソンと10km走からなり、各種目の男女優勝者計4人に加え、制限時間をクリアした参加者から抽選で選ばれた65人が、この大会のフルマラソン出場権を得た。
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特筆的な出来事
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「東京マラソン2011」の記事における「特筆的な出来事」の解説
川内優輝(埼玉陸協・県立春日部高校定時制職員)が2時間8分37秒で日本人最高の3位でゴールし、世界陸上の日本代表に内定した。川内は前年度4位入賞に続く快挙で、日本人ランナーが国内のマラソンで2時間10分を切ったことは2008年12月の福岡国際マラソンでの入船敏以来2年2か月ぶり。また日本代表選考レースで、実業団に所属していない「市民ランナー」が日本人最高位となることは極めて異例(ただし、一般参加枠ではなく、前年大会4位による招待選手枠としての出場だった)。 女子の部で1着でゴールしたのは2時間27分29秒のタイムを出したロシアのタチアナ・アリャソワ(英語版)だったが、その後の日本アンチ・ドーピング機構 (JADA) の検査により、薬物を摂取した痕跡を消すために用いられたとされる「ヒドロキシエチルデンプン」が検出されたことから、ロシア陸連による違反確認を経て、国際陸上競技連盟が2011年4月29日から2年間の出場停止と東京マラソン当日以降の競技記録の無効処分を下した。このため、レース後約11か月を経た2012年1月24日、アリャソワの失格と、2位に入った樋口紀子(ワコール)の繰り上げ優勝が発表された。ちなみに樋口は今回が初のマラソンであった。 一方、元マラソン日本女子最高記録保持者で注目された渋井陽子(三井住友海上)は、終盤失速して2時間29分03秒の3位(当初4位)に終わった。
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特筆的な出来事
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「東京マラソン2010」の記事における「特筆的な出来事」の解説
藤原正和は3度目のマラソンで初優勝。2着は藤原新で同姓ランナーのワンツーフィニッシュとなった。3着は佐藤敦之、一般参加で川内優輝が4着に入った。 前日に起こったチリ地震による津波の日本への到達予想時間がレース開催時間と重なり、ゴール周辺の東京湾岸にも津波警報が発表されたことから、レースの開催が懸念されたが、実行委員会は津波の予想高さとゴール周辺の海抜を勘案してレースを決行。この判断に対して中井洽防災担当大臣が3月2日の記者会見で「警報を出しても意味がないということになると、次回の警報が信用されなくなる」と、実行委員会の判断が津波警報の信用性を損ねかねないとの懸念を示した。これに対し、石原慎太郎東京都知事は「大臣がああいうばかなこと言わない方がいい。東京が十全な努力で判断をしてやってるんだ」と反論している。なお、この津波警報の影響もあり、当日東京湾周辺でマラソン応援者を搬送する予定だった屋形船が全便欠航となっている。
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特筆的な出来事
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「東京マラソン2009」の記事における「特筆的な出来事」の解説
男子の部では初マラソンの前田和浩(九電工)が2時間11分1秒で日本人最高の2位となり、世界陸上の代表に決定した。一方、このレースを引退レースとしていた日本記録保持者の高岡寿成は35km付近で途中棄権となった。 女子の部でこの大会をラストレースにすると宣言していた選手のうち、土佐礼子は5km付近で給水時に転倒するアクシデントに見舞われたものの、持ち前の粘りを発揮して3位入賞を果たした。一方弘山晴美は10位に終わった。 TOKYO MXの情報番組『Tokyo Boy』の企画として参加したタレントの松村邦洋がスタートから14.7km地点で急性心筋梗塞による心室細動を発症して意識不明となり倒れ、病院に搬送されるアクシデントがあった。松村は搬送中に意識が回復し、命に別条はなかった。大会事務局によれば、今大会では松村を含めて2名の参加者が心肺停止状態になり、自動体外式除細動器(AED)が使用された。なお、松村は後年、テレビ番組などで当時の顛末を語っている。2016年4月4日にテレビ朝日系で放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!スペシャル』では「自分に甘く東京マラソンで心肺が停止しちゃった先生」のテーマで、この件について講義を行った。 2017年2月10日のテレビ東京系『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』にゲスト出演した際も「よくスポーツ選手がね、『死ぬ気でいけ』って言うけど、本当に死ぬ気で行っちゃったのが…。」と反省し「倒れている間に三途の川を渡りかけた」ことを語った(同番組のMCの一人である河本準一(次長課長)も今大会に参加していたため、松村の件について「ちょうどすれ違った時には、泡吹いて真紫な顔で倒れていたんですよ。もう絶対死んだと思いました。」と証言している)。 宮根誠司が「フルマラソンで4時間30分以内に走り切れなかったら丸刈りにする」と宣言。結局5時間56分9秒のタイムで完走し、目標達成ならず。翌3月23日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ制作、日本テレビ系)の生放送中に丸刈りを行った。5年後の東京マラソン2014で再び「フルマラソンで4時間30分以内に走り切る」と宣言し、4時間20分1秒のタイムで完走し、リベンジを果たした。 さいたま市南区在住の65歳の男性が「フルマラソンを52日連続で走る」というギネス記録に挑戦し、52日目のレースとして東京マラソンに参加、3時間55分台で完走して記録を達成した。
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