渋谷定輔との出逢いとは? わかりやすく解説

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渋谷定輔との出逢い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:36 UTC 版)

渋谷黎子」の記事における「渋谷定輔との出逢い」の解説

1927年昭和2年)、渋谷定輔講演のために東北地方回っており、黎子は福島での講演会聴衆として参加した。黎子は先述通り、すでに定輔の『野良に叫ぶ』を読んでいたこともあって、その講演内容に非常に感銘受けた。 定輔が『婦人運動』の寄稿者だと知って親近感抱いたこともあり、同年末より定輔と文通始めた。黎子が定輔に手紙送ったことが、文通きっかけとなった文通の中で黎子は、政治的抑圧による緊迫した状況下で定輔の安否尋ねたり自分現況苦悩打ち明けて相談したり、家柄拘る実家から脱出し職業婦人となって新たな生き方を捜すことの望み打ち明けるなどしていた。また、貧し農民たちの生活は『野良に叫ぶ』とまった同じにも関らず、農民たちの解放を真剣に考えて運動する者が皆無だ訴えてもいた。当時の定輔は、農民自治運動解体後新し農民運動の展開の準備明け暮れ統一戦線模索する最中にあった。この統一戦線模索頻繁に2人文通共通のテーマとなっていた。文通の際は、黎子があらかじめ定輔宛てに、差出人女性の名前とした封筒を何通も送っており、定輔はその封筒用いて黎子に返信するという、慎重な方法がとられた。 1928年昭和3年7月頃より、文通頻繁になった。文通が進むにつれ、黎子は定輔に「こんなに手紙送っているのに返事書いてくれない」と恨み言書き、その直後に「あなたは多忙だから仕方ないと書き恨み言取り消すといった具合に、次第に定輔に傾倒していった。この頃、黎子は社会主義思想検挙されたこともあり、長姉は黎子に、そうした思想を持つなら家を出るようにと怒りつけていた。 同1928年9月に定輔から黎子へ、農民自治会脱退時に農民運動家の竹内愛国に宛てた訣別する旧同志への書簡」が送られてきた。これは定輔の農民運動総括ともいえる原稿用紙18長文であり、原本複写2部しか存在しない内の複写を黎子へ送ったものであり、自分心情吐露するために送られたものと考えられている。黎子はこれに感銘を受けると共に、定輔の思想共感した9月5日付の定輔宛ての手紙では「この生きる道が私に見つからなかったら、私はすでに、女学校三年時に自殺したかもしれないのです」と述べており、これが生涯方向決定する転機となった見られている。 同1928年11月、定輔との出逢い機会訪れた当時の定輔は特高により「思想特別要視察人」として認定されていたことから、宮城県白石町(後の白石市)に潜伏しており、黎子の指定した待合せ場所である梁川駅福島電気鉄道)に、朝9時頃に到着した。黎子は生憎当日自宅での見合いの日になってしまい、何とか抜け出して梁川駅へ向かう旨を、定輔に伝えていた。しかし黎子は一向に現れず、定輔は猛吹雪の中、駅舎昼食もとらずに黎子を待ち続けた。定輔の帰り最終バス時刻である16時頃に、ようやく黎子が現れた。しかし家の女中同伴していたため、一言言葉を交わすことができず、駅舎の中で目で挨拶のみした後、黎子は何事もなかったかのように吹雪の中を帰っていき、定輔も最終バス帰途就いたその頃池田家では、黎子が見合い最中突然にして姿を消したことで大騒ぎになっていた。数日後に黎子は定輔宛ての手紙で、見合いによって到着遅れたことを詫び結婚によって自分奴隷化する家との戦いへの協力求めた。 同11月、黎子は粟野村で定輔と出逢い2人きりで林道歩いた会話内容は甘いものなどではなく農民運動についての話し合いであり、農民運動における全国的な統一戦線結成こそが緊急の任務として2人意見一致した付近労務者たちから冷やかしの声を浴びたが、当の2人には恋愛結婚などの意識はなく、手を握ることすらなかった。この出逢い通じて黎子は、定輔の人間性再認識し全幅の信頼を置くに至った

※この「渋谷定輔との出逢い」の解説は、「渋谷黎子」の解説の一部です。
「渋谷定輔との出逢い」を含む「渋谷黎子」の記事については、「渋谷黎子」の概要を参照ください。

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