渋谷地区再開発事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 00:33 UTC 版)
「上野検車区渋谷分室」の記事における「渋谷地区再開発事業」の解説
銀座線渋谷駅より渋谷検車区への高架橋は、経年による老朽化がみられ、早急な対策が必要とされていた。さらに付近にある東急バス専用道(旧東急玉川線軌道跡)、京王井の頭線渋谷駅においても、混雑緩和の必要性があった。このことから、1979年(昭和54年)7月に営団地下鉄(現・東京地下鉄)・東急電鉄・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)3社による渋谷地区の土地の一体化と高度立体利用計画の検討が開始された。 最終的な計画では京王井の頭線側に地上25階、地下2階から構成される商業施設とホテルビルを、渋谷検車区側には地上23階、地下1階から構成される商業施設、駐車場、オフィスビルを建設する再開発事業を行うことになった。開発面積は14万4,000m2にも及ぶものである。そして、1989年(平成元年)12月には3社による共同プロジェクトの協定を締結した。 この再開発ならびに渋谷検車区改良工事は1994年(平成6年)4月に着工された。この工事では高架橋設備の改築、車両基地構内の検査ピットの拡張(従来3両までしかできなかったものを6両編成対応とする)などの改良を図った。基地構内は上層部への騒音や振動の配慮からバラスト道床防振軌道を採用している。 検車区の工事期間中は留置線は2本しかなく、6両編成の電車を縦列留置ができるだけであった(6両編成4本が留置可能)。このため、夜間の収容数不足が生じるので、数本を夜間に中野検車区へ回送し、翌朝に銀座線へ回送するという方法もとられたが、1999年(平成11年)3月に工事の進捗で8編成が留置できるようになり、この方法は解消された。2000年(平成12年)2月には渋谷検車区一連の改良工事がすべて終了した。その後、再開発ビルは渋谷マークシティと名称が付けられ、同年4月7日にオープンした。
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