津波堆積物調査と震源域推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:13 UTC 版)
「貞観地震」の記事における「津波堆積物調査と震源域推定」の解説
1986年以降、箕浦幸治によって着手された仙台平野における古津波堆積層の研究は、文献記録が残る貞観津波以前にも3枚の古津波堆積層があり、未知の先史地震による津波とした。1990年に東北電力女川原子力発電所の建設にともない行われた貞観津波の痕跡高に関する研究は、考古学的所見と津波堆積物調査とを突き合わせて検討し、「津波の最大遡上地点は、藤田新田付近との結論」を得て、「貞観11年の津波の痕跡高として、河川から離れた一般の平野部では2.5 - 3メートルで、浸水域は海岸線から3キロ程度の範囲」と推定した。 2000年代になると、ボーリング調査などによる仙台平野の津波の痕跡の研究が長足の進歩を遂げた。2005年から5年間にわたって、文部科学省による委託を受けた「宮城県沖地震における重点的な調査観測」(国立大学法人東北大学大学院理学研究科、国立大学法人東京大学地震研究所、独立行政法人産業総合研究所)によって行われた。2005年、岩手県大槌湾では内湾静穏域の湾奥中央部水深10メートルから海面下35メートルまでの調査で、過去6000年間の海底シルト層中から22枚の津波堆積層が確認された。これらの層は、津波襲来時に多くの土砂を巻き込み、一気に引き波によって海底にもたらされた堆積層である。年代測定は、津波に巻き込まれた合弁2枚貝や保存状態のよい新鮮な個体20点を用いられ、AMS法による14C年代測定、OxCal3.10による暦年較正、海洋リザーバ効果400年と仮定し、年代は算出された。その結果、層厚約2メートルのTs10が貞観津波堆積層と同定された。 仙台平野の沿岸部では、貞観地震の歴史書が記述するとおり、1000年ほど前に津波が内陸深く溯上したことを示す痕跡が認められた。ところが研究が進むにつれ、この種の津波の痕跡には、貞観津波を示すと思われるもの以外にもいくつか存在することが明らかとなった。東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センターなどの研究では、仙台平野に過去3000年間に3回の津波が溯上した証拠が堆積物の年代調査から得られ、間隔は800年から1100年と推測されている。また、推定断層モデルから9メートル程度の津波が、7- 8分間隔で繰り返し襲来していたと考えられる。2007年10月には、津波堆積物調査から、岩手県沖(三陸沖) - 福島県沖または茨城県沖まで震源域がおよんだ、M8.6の連動型巨大地震の可能性が指摘されている。一方、2008年の調査では陸前高田平野からは津波堆積物は見つかっていないため想定震源域の北限を決められる。 2011年(平成23年)3月11日には三陸沖を震源として、岩手県沖から茨城県沖までの広範囲を震源域とするMw9.0の連動型超巨大地震「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)が発生した。貞観地震と同様に広範囲を震源域として内陸部まで被害がおよぶ巨大・広域津波が発生している点、さらに上記の800年から1100年間隔で同様の地震が発生するという推測などから、この地震は貞観地震との関連性が指摘されている。 2011年8月、津波堆積物の年代比較調査により、過去3500年間に東日本沿岸を少なくとも7回以上の大津波が襲い、その津波を起こしたのは千島海溝から日本海溝沿いにかけての4つの震源域のいずれか、または複数が連動活動して発生したM9クラスの地震と推定されたとの結果が公表された。貞観地震もそのひとつと考えられている。
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