2008年の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 06:15 UTC 版)
「スヴェンスクフーセットの悲劇」の記事における「2008年の調査」の解説
大量の食料や燃料が残っていたため、犠牲者が餓死や凍死したとは考えにくかった。死因は極地で発症例の多い壊血病と考えられ、無知や不注意のせいで犠牲者は命を落としたと長らく批判されてきた。しかしながら死因を壊血病とすると、複数の史料と辻褄が合わないのである。まず全員、発病時期が同時期と見られ壊血病には該当しにくいこと、また日記の記述から一同が壊血病の危険性をよく理解し、予防法も認識していたことがある。その他の死因説として結核やボツリヌス症が想定された。 その後2007年に医学者ウルフ・アアセボー (Ulf Aasebø) と歴史家シェル・シャール (Kjell Kjær) が死因の特定を目的として犠牲者の墓の発掘許可を申請する。両者は猟師たちの死因について、壊血病ではなく実際は鉛中毒ではないかという疑念を抱いていた。19世紀の食品用缶詰に使われたブリキには最大15パーセントもの鉛が含まれていたからである。1度目の申請はノルウェー文化遺産局(英語版)Riksantikvaren(ノルウェー語)に却下されたが、科学的意義と研究方法をより精緻に示し再申請の結果、2008年7月に許可がおりた。 調査者のグループはThordsen岬に8月7日から9日にかけて滞在した。まだ棺が原形をとどめ凍ったままの遺体もあり、それ以上、損壊しないように配慮された。アアセボー博士によると遺体は骨格ではなく組織まで保存されており、許可の規定はもとより、何よりも倫理規定に従って組織標本の採集は考えなかったという。標本は他の浅い比翼塚に埋葬された2体の骨格から採集し、分析の結果、調査者の仮説のとおり鉛の含有量は非常に高かったのである。さらに食料を保存したブリキ缶内部には「大量の鉛が氷柱のように析出」していた。この調査によって犠牲者一同の怠慢という疑いはほぼ払拭された。シャール曰く、科学的調査により、死後に名誉回復を果たしたのである。
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