2008年の衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 15:39 UTC 版)
「プレアヴィヒア寺院」の記事における「2008年の衝突」の解説
2008年の世界遺産登録に関しては当初タイ側の支持もあったが(タイのノッパドン外務大臣がカンボジアのプレアヴィヒア寺院の世界遺産登録を支持)、その後支持したことがタイ王国の国内法違反とされ、当外務大臣は7月中に辞任した。2008年7月中旬、タイ人3名がプレアヴィヒア寺院に不法侵入したとしてカンボジア側に拘束された(その後解放)。この拘束に合わせ、タイ側が軍隊を派遣。それに対抗するようにカンボジア側も軍隊を派遣し、睨み合いが続いている。カンボジア側は国際連合安全保障理事会に一時訴えたが、その後取り下げている。2008年7月28日、状況を打開すべくカンボジア領内のシェムリアップにて両国外務大臣が会談を行い、両国が軍を撤退させることで同意したが、2008年8月3日現在では実現していない。2008年10月13日、カンボジアのフン・セン首相は、タイのソムポン外相との会談で、領内に侵入したタイ軍の14日までの撤退を求め、応じない場合は「戦争が起きる」と警告した。2009年2月10日、タイはプレアヴィヒア寺院のタイ側の入り口であるカオプラウィハーン国立公園を非公式に再開した。プレアヴィヒア寺院への立ち入りは不可能であるが、タイ側からその姿を見ることは可能である。
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