沿革1
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「東海旅客鉄道名古屋工場」の記事における「沿革1」の解説
1890年(明治23年)7月 - 関西鉄道四日市工場として発足。当時は四日市駅構内にあった。 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道の国有化に伴い、帝国鉄道庁湊町営業事務所四日市工場に改組。 1908年(明治41年)12月 - 帝国鉄道省が鉄道院に改組に伴い、鉄道院西部鉄道管理局四日市工場へ改称。 1924年(大正13年)8月21日 - 現在地の名古屋駅構内に移転、鉄道省名古屋鉄道管理局名古屋工場に改称。 1932年(昭和7年)4月 - 内燃動車(気動車)検修開始。 1942年(昭和17年)9月11日 - 鉄道省名古屋鉄道局名古屋工機部に改称。 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道発足に伴い、日本国有鉄道名古屋工場に改称。 1950年(昭和25年)8月 - 日本国有鉄道名古屋鉄道局名古屋工場に改称。 1952年(昭和27年)8月 - 日本国有鉄道名古屋工場改称。 1957年(昭和32年)1月 - 支社制発足に伴い、日本国有鉄道中部支社名古屋工場に改称。 1963年(昭和38年) - 鉄道記念物の蒸気動車キハ6401を復元。 1970年(昭和45年)8月 - 支社制廃止に伴い、本社直轄の日本国有鉄道名古屋工場に改称。 1973年(昭和48年)9月1日 - 本社直轄から日本国有鉄道名古屋鉄道管理局名古屋工場に改称。 1978年(昭和53年)11月 - 電車(153系)検修開始。 1982年(昭和57年)3月 - 12系客車改造、ジョイフルトレイン「いこい」落成。 1983年(昭和58年)3月 - 12系客車改造、ジョイフルトレイン「お座敷列車(通称:ナコ座)」落成。 1985年(昭和60年)9月 - 12系客車改造、ジョイフルトレイン「ユーロライナー」落成。
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沿革 1
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民間の儀礼である北辰祭が宮中にもたらされた時期は不明であるが、桓武天皇が遷都後に北辰菩薩を祀る霊厳寺(廃寺。妙見寺ともいい、京都府京都市鷹峯の現圓成寺がその後継という)に灯火を捧げたとの伝えがあり、遅くとも同天皇の治世下には行われていたらしく、その後「宮廷諸儀礼完備の時代」といわれる清和天皇の貞観年中(9世紀後半)に宮中行事として公式に採用され、天皇自身が北辰に灯火を捧げるようになったと見られている。因みにこの日は廃朝とされる事が多く、また『延喜式』を見ると、中宮においても同様の儀式が行われていた。 当初灯火を捧げられたのは上記霊厳寺であったが、宇多天皇の寛平年間(9世紀末)の初めに月林寺(廃寺。現京都市左京区の一乗寺月輪寺町、修学院月輪寺町付近にあったという)へ、次いで円成寺(廃寺。現京都市左京区鹿ヶ谷の大豊神社境内にあったという)へと変わり、醍醐天皇の延喜2年(902年)から再び霊厳寺へ捧げるようになったという。また、御燈の日には「神事吉事、遊宴」が行われ、一緒に仏事が行われた例もあった。宇多・醍醐両天皇ごろに最も隆盛を極め、容易に忌避することのできない恒例の行事と見なされたが、伊勢神宮の斎王の群行が行われる際には停止され、その他忌服などの触穢で捧げることができない時には由祓(よしのはらへ)を行ってその事情を奉告する定めで、後には穢れの無い場合でも祓が行われる例となった。なお、『経頼記』には長暦2年(1038年)3月に后妃(藤原嫄子)懐妊のために祓まで停止された例も記録されている。
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