水と氷の近代以降の主要な研究の年譜
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「水」の記事における「水と氷の近代以降の主要な研究の年譜」の解説
年譜を読むには右の[表示]をクリック 17世紀初頭 - ベルギーのファン・ヘルモントは植物成長に関する実験により、水を元素と結論づけた。あらかじめ重量を測定した鉢植えに水だけを与え、4年後に重量を測定すると重量が増加していた。すなわち水元素が木元素に変換したことになる。ヘルモントはガスという用語を作り出した。ビールの発酵、石炭の燃焼、炭酸塩から発生するガスが全て同じ物質であり、命名もしていたが、彼自身の実験と彼のガスの関係には気づいていなかった。 1765年 - イギリスのキャベンディッシュ、水を材料に熱の研究を行ない、蒸発熱や潜熱を測定した。 1766年 - キャベンディッシュ、「人工空気の実験を含む三論文」を発表。第1論文で「可燃性空気」すなわち水素の発見を発表。ただし、水素の燃焼物が何であるかを理解していなかった。 1781年 - 酸素の発見者の1人であるイギリスのプリーストリーは、水素の燃焼物が水であることを見いだし、キャベンディッシュに確認を求めた。 1784年 - キャベンディッシュが「空気に関する諸実験」を発表。水の組成を確認する実験について記述されている。実験には2年を要した。水素と酸素を電気火花によって反応させると大量の反応熱を出すため、生成物にどうしても窒素の酸化物である硝酸が混入してしまうためであった。彼の論文では水素と酸素を可燃性空気と脱フロギストン空気としているものの、水素2容積と酸素1容積から水が生成することを確認している。フロギストンによらない説明を最初に与えたのは酸素という名を命名したラボアジェであった。 1785年 - ラボアジェが赤熱した鉄管に水を通すと水素が発生することを示し、水素、酸素こそが元素であって、水は化合物であることを最終的に確認した。 1791年 - イタリアのボルタが酸素と水素が一定の比率で化合する性質を利用し、逆にこれらの気体の分量を測定するユージオメーターを開発した。 1800年 - ボルタ、化学反応による電流の発生に成功。これが化学電池の原型であり「ボルタの電堆」と呼ばれる。 1801年 - イギリスのウィリアム・ニコルソン、「ボルタの電堆」を用いて、初めて水を電気分解した。陰極に水素が2容積、陽極に酸素が1容積発生することを示した。 1920年 - この頃までに水素結合の概念が提唱された。 1933年 - バナールが、水のX線構造解析を行った。 1935年 - ポーリング、氷の残余エントロピーの理論。 1936年 - 中谷宇吉郎が雪の結晶を人工的に世界で初めて作成した。 1958年 - アイゲン、水中のプロトン移動に関するモデルを提唱した。 1971年 - ラーマンにより、水の分子動力学法によるシミュレーションが行われた。 1971年 - ペイジが、水の中性子による構造解析を行った。 1994年 - 三島修が、2 つのアモルファス氷の間(低密度⇔高密度)の一次相転移を発見。 2005年 - R. J. D. Miller らにより、水にレーザーパルス照射で生じさせた構造変化は 50 フェムト秒以内に失われることが報告された。
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