民雄の世代(清二の子供の時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:31 UTC 版)
「警官の血」の記事における「民雄の世代(清二の子供の時代)」の解説
安城 民雄(あんじょう たみお) 演:吉岡秀隆 清二の第1子(長男)。清二が巡査になった年・昭和23年に生まれた。近所の子どもたちと警官ごっこをして遊ぶなど、父親の仕事に誇りを持っていた。東京都立上野高等学校卒業後、昭和42年4月、警視庁警察学校へ入学する。父親の死が事故死(自殺)として処理されたことに納得しておらず、警察官になれば汚名を返上出来るのでは、とわずかながら考えていた。警察学校卒業前に公安部の笠井に、ソ連部門担当要員育成という名目で、昭和43年、北海道大学文学部(ロシア文学専攻)へ進学し、赤軍派の潜入捜査にあたること命じられる。訓練中の赤軍派が一斉逮捕された山梨の大菩薩峠事件(昭和44年)では、潜入捜査官でありながら、民雄も北大の赤軍派の仲間たちとともに、逮捕される。公安警察官としての未来を嘱望されるが、あくまでも夢は父親と同じ駐在警官になること。警察学校卒業から約7年もの間続けた過酷な潜入捜査で、不安神経症になり、妻の順子にたびたび暴力を振るうようになる。不安神経症が完治していないという理由で、希望の署に配属されなかったが、香取茂一の配慮で下谷署に配属され、半年後には父親と同じ天王寺駐在所勤務の夢を叶え、次第に性格も穏やかになっていく。天王寺駐在所勤務時代には、高校時代柔道部だったこともあり柔道には多少の心得があることから、町内の谷中集会所で子どもたちに柔道を教えるなど、町内の住民たちとも良好な関係を築いていた。父が未解決だった2つの事件を調べ、その真相に近付くが、平成5年9月、指名手配中の殺人犯で暴力団員の赤柴孝志(覚醒剤中毒で、小学生の女子を人質にとり立てこもっていた)を逮捕しようとしたところで頭に銃弾を受け(人質の女児は無事に保護された)、翌日、飯田橋の東京警察病院で命を落とす。民雄の殉職時の階級は、「巡査部長」であったが、死亡日付で2階級特進し「警部」となった。 堀米 順子(ほりごめ じゅんこ) → 安城 順子(あんじょう じゅんこ) 演:貫地谷しほり 軽井沢にある警視庁の保養所で働く女性。その保養所は、潜入捜査終了後に、不安神経症の診断を受け、療養を命じられた民雄が滞在していた。潜入捜査で身分を偽ってきた民雄にとって、警察官であることを知っている彼女は心休まる存在となり、東京へのデート(東京の映画館で映画『オリエント急行殺人事件』を鑑賞)などを経て、結婚する。男女2人の子に恵まれる。夫の死後、息子と娘と一緒に日暮里の集合住宅に移り住んだ。出身も軽井沢で実家は、軽井沢駅近くの燃料店。 安城 正紀(あんじょう まさき) 清二の第2子(次男)。民雄の2歳年下の弟。昭和25年生まれ。母親に似た柔和な顔立ち。東京都立蔵前工業高等学校卒業後、墨田区内の電気設備メーカーに就職し、組合活動家となる。一部の親族には、共産党員だ、左翼だと言われ、遠ざけられていた。組合活動に熱心だったため、兄の民雄とは、ほとんど連絡を取り合っていなかった。30歳頃に結婚したものの、夫人の間の子供はいない。昭和63年の時点では江東区亀戸に住み、とある労働団体の職員となっていた。兄の死後、甥の和也に父・民雄の生前の事全てを語って聞かせた。高校2年で父を亡くした甥・和也の大学進学のための費用を援助する。和也が警察官となることには反対の立場であったが、和也の意志を妨げることはできないとも悟っている。
※この「民雄の世代(清二の子供の時代)」の解説は、「警官の血」の解説の一部です。
「民雄の世代(清二の子供の時代)」を含む「警官の血」の記事については、「警官の血」の概要を参照ください。
- 民雄の世代のページへのリンク