民間飛行場として
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1929年(昭和5年)から大刀洗陸軍飛行場で民間の定期便が運航されていたが、大刀洗は福岡市街地と離れていて利便性が低かった。当時福岡市近辺には水上機専用の福岡飛行場 (名島水上飛行場)があったが陸上機の運用が可能な飛行場が求められたため、市周辺の候補地を調査・選定し、1934年(昭和9年)雁ノ巣に決定した。 1935年(昭和10年)1月に着工、総工費59万円を掛け、敷地面積59万平方メートルに滑走路(600×30m)1本、海岸に水上機の滑走台(80m)と格納庫2棟が整備され、翌1936年(昭和11年)6月1日に開港した。「昭和11年10月現在で東西550m、南北800mの滑走区域」と記載されている資料もある。福岡 - 那覇 - 台北を開設、翌年には、東京 - 福岡 - 京城 - 新京の急行便を開設した。
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民間飛行場として
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開場当初の飛行場は富山県営で、実際の事業は民間に委託されており、1934年(昭和9年)5月15日には初めて日本航空輸送株式会社によって富山 - 東京間に定期航空路を開いたが、富山県はその赤字補填のために年間1万2千円の補助金を拠出していた。同年7月2日からは富山 - 名古屋間、翌1935年(昭和10年)6月からは大阪 - 富山 - 新潟間における航空路線がそれぞれ開業している。 東京、大阪及び新潟に対する航空路線においては、旅客のほかに郵便物の逓送が行われ、特に東京に対する航空郵便線路の開業は北陸におけるその嚆矢として内外の注目を集めた。この他富山飛行場においては、日本航空輸送によってビラ撒きや遊覧飛行等の事業が行われており、遊覧飛行については立山上空を飛行するものは7円、富山市上空を一周するものは3円で運営されていた。 富山 - 東京間定期航空路開通を報ずる当時の新聞 東京富山間定期航空開通祝賀会 富山 - 名古屋間定期航空路開通を報ずる新聞 富山 - 名古屋間定期航空路初飛行を終えた飛行士が富山飛行場において花束を贈呈される
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