民間型の開発
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「Ju 90 (航空機)」の記事における「民間型の開発」の解説
ルフトハンザ航空(Deutsche Lufthansa AG)は1933年の早期から長距離旅客機の要求を出していた。Ju 89の開発プログラムが空軍により放棄されたときには試作3号機が半完成状態であり、ルフトハンザ航空は、この機体を元の主翼と尾翼を残し、これに新規に製造した幅広い胴体を組み合わせて旅客機に改装するように要求した。この新しい機体はJu 90と名付けられた。 ユンカース Ju 90 は2枚の垂直尾翼が付いた水平尾翼をもつ4発の全金属製の低翼単葉機である。主翼前縁に顕著な後退角が付き、後縁はほぼ直線となっている。主翼構造は5本の管状桁に表面の滑らかな圧延外皮で構成されていた。ユンカース社特有の"2重翼(double wing)"と呼ばれる、全幅に渡る複合フラップ/エルロンが取り付けられていた。尾翼部分にのみユンカース社伝統の波型外皮を採用していた。垂直尾翼に顕著に突き出して装着された方向舵は水平尾翼の端に取り付けられ、方向舵は昇降舵とは隙間を置いて離れており別の形で2重翼を構成していた。これらの尾翼はJu 89からの流用であった。 新しい胴体は圧延された滑らかなジュラルミン製外皮で覆われた円形断面で、左右5組の長方形の窓が付いていた。8座席のコンパートメント内には1組の窓と、中央の通路を挟んで相対する2座席が配されており、これが4つか5つあった。5つのコンパートメントを持つ機体は最大40名の乗客を収容できた。機体後尾にはトイレ、クロークルーム、郵便保管庫が備えられ、荷物は客室前方に搭載した。胴体は当時の標準としては大きかったが、その直径(2.83 m、9 ft 3.5 in)はボーイング737(3.52 m、11 ft 6.5 in)よりはかなり小さかった。 尾輪は完全引き込み式で、単車輪の主脚は油圧で内側のエンジンナセル内に引き込まれた。 最初の試作機のJu 90 V1は820 kW (1,100 hp)のダイムラー・ベンツ DB 600C 倒立V型液冷エンジンを4基装備していた。このエンジンは前のJu 89と民間型生産機のJu 90のものより大出力であった。「大デッサウアー(Der Grosse Dessauer)」という名を付けられたこの機体は1937年8月28日に初飛行し、ルフトハンザ航空は8箇月に渡る飛行テストの後で長距離飛行テストを実施した。1938年2月6日に、この試作機はオーバースピード試験中に墜落した。 試作2号機(V2)は1938年5月、テストのためにルフトハンザ航空に納入された。全ての民間型生産機のJu 90と同様に、この機には620 kW (830 hp) のBMW 132 星型エンジンが装着された。本機のエンジンを低出力エンジンへ変更した理由は、おそらくダイムラー・ベンツ社が生産するエンジンを、より戦略的に重要な第一線機に優先配分するためであった。この機は「プロイセン(Preussen)」と命名され、熱帯運用テスト中の1938年11月26日にガンビアのバサースト(Bathurst)で離陸中に墜落した。この墜落は離陸中のエンジン故障に起因すると考えられる。 このようなつまづきにもかかわらずルフトハンザ航空は量産型のA-1を8機発注し、それとは別に続く2機の試作機も使用した。V3 「バイエルン(Bayern)」は1938年7月からベルリン - ウィーン間に就航し、1938年中に総計62,572 kmを飛行したと言われている。ルフトハンザ航空はA-1を7機しか受領できず、最後の1機は1940年4月に直接ドイツ空軍に納入された。 南アフリカ航空も670 kW (900 hp)のプラット・アンド・ホイットニー ツインワスプ エンジン搭載の2機のA-1を発注した。これらの機体はBMW社製エンジンを搭載したZ-2と区別するために、Z-3というもう一つの名称を持っていた。これらの機体は南アフリカ航空には納入されず、代わりにドイツ空軍へ行った。戦争の進行に連れて残存していた6機のルフトハンザ航空の機体もドイツ空軍に徴発されたが、後に2機が返還された。元ルフトハンザ航空の機体の内4機がノルウェー侵攻に使用された。 4番目の試作機V4が980 kW (1,320 hp) のユンカース ユモ 211F/L エンジンを搭載して1941年7月にドイツ空軍に就役した。
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