死をめぐる論議とは? わかりやすく解説

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死をめぐる論議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 23:00 UTC 版)

デイヴィッド・シャープ」の記事における「死をめぐる論議」の解説

シャープは元数学教師で、3回目エベレスト登山山頂到達していた可能性のある登山家である。シャープ登山許可をアジアン・トレッキング(Asian Trekking)社を通じて取得し、6,200ドル前進ベースキャンプまでの後方支援依頼したが、シェルパガイド準備しなかった。アジアン・トレッキングに連絡をとるための無線機携帯しなかったが、これは同社救出活動を行う能力有していなかったためである。彼の死の翌週にはアジアン・トレッキングを通じて参加した他の3人の登山家、ビトー・ネグレート(英語版ポルトガル語版)、イゴール・プリューシュキン(Igor Plyushkin)、トーマス・ウィーバー(Thomas Weber)が死亡している。 ニュージーランド両足義足登山家マーク・イングリス2006年5月23日インタビューに対してシャープ死んでいたとイングリスには思われ、他に40人の登山家頂上目指しシャープの前を通過した救助試みようとしなかった、と述べたシャープ死亡したのは、頂上から高度約450 m (1,480 ft)下で第4キャンプから高度250 m (820 ft)上にある登山道脇の“グリーンブーツ英語版)・ケーブ”として知られる岩の張り出しオーバーハング)の下である。午後遅くシャープ単身有酸素頂上到達試みておそらく到達したが、下山することとなったその夜はその年の最低気温となったイングリス登山隊は登攀中の午前1時頃にシャープの前を通過した際にシャープにまだ息があることに気付いたが、夜間の救助活動が困難であることから頂上への登攀続けた。マーク・ウェツ(Mark Whetu)は立ち去る前にシャープに対して第4キャンプ延びLEDヘッドランプの列を辿るよう指示している。他の殆どの登攀者はシャープ十分な支援提供することなく通り過ぎた。エベレストガイドであるジェイミー・マッギネス(Jamie McGuinness)によると、およそ9時間後の下山時にデイヴィッド・シャープ元に辿り着いた際は、「...アルン・トレックス(Arun Treks)社のダワ(Dawa)もデイヴィッド酸素与えて彼を動かそうと、繰り返し、おそらく1時間は、試みた。しかしデイヴィッド独り立ち上がらせるどころか肩につかまらせることすら出来ず泣きながらダワも彼を置き去りにした。シェルパ2人いてもその先険し箇所下山させることは不可能だっただろう...」という状況だったという。 イングリスは、シャープ準備不足で、適切なグローブ酸素有しておらず、彼らの登攀時には既に死は免れない状態だった、と述べている。「自分は...無線連絡をとったが、登山責任者であるラッセル・ブライス(英語版)は『君に出来ること何もない。彼は酸素無しでもう何時間もそこにいる。彼はもう実質的に死んでいるんだ』と言った問題なのは、8500mでは生存極端に難しということだましてや他の誰か生かしておくことなんて尚更だ」。イングリス述べていることからは、イングリス登山隊が通過した時点までにシャープが殆ど死に近い状態で手の施しようがなかった、とイングリス考えていることが窺える。しかしラッセル・ブライス(英語版)はイングリス主張否定し遭難した登山者に関するいかなる無線通信受信しておらず、レバノン人初のエベレスト登頂者であるマキシム・チャヤ(英語版)からおよそ9時間後に初め知らされたと述べており、チャヤ登攀時の暗闇ではシャープの姿を見なかったという。この時シャープグローブをしておらず重症凍傷になっていた。イングリス登山隊の先導者は、自分チームメンバー対す責任が最も重要であり、シャープ自身登山チームへは非難が十分向けられていない、と述べている。下山中瀕死の者を救助することは登攀中の救助よりも遙かに労力要する一方対照的に5月26日にはオーストラリア登山家リンカーン・ホール(英語版)は死亡宣告され翌日生存した状態で発見されている。ホール発見したのは4人の登山家(ダニエル・マズール(英語版)、アンドリュー・ブラッシュ(Andrew Brash、マイルズ・オズボルム(Myles Osborne)、ジャンブー・シェルパ(Jangbu Sherpa))で、彼らは自分たちの登頂放棄した上で傍に留まりホール下ろすために送り込まれ11人のシェルパと共に彼を下山させた。ホールは後に完全に回復している。 エドモンド・ヒラリー卿はシャープ救助しようとしなかった決断厳しく非難し死に瀕した他の登山者置き去りにすることは受け入れがたいことであり、登頂への欲望全てになってしまっている、と述べている。「エベレスト登頂への姿勢そのものがとても恐ろしいものになってしまったように思う。皆頂上到達することしか頭にない。誰かが高山病苦しんで岩陰凍えているのに帽子取っておはようと挨拶して通り過ぎるなんて、間違っている」。ヒラリーはまたニュージーランド・ヘラルドに対して今日登山家冷酷な態度恐ろしく思うとも述べている。「彼らは遭難したかも知れない者に見向きもしない岩陰死にかけている誰か置き去りにするだなんて全く認められない」「彼らの最優先事項頂上到達することであり、登山メンバー幸福などは二の次になっているように私には思える」。ヒラリーはまたマーク・イングリスを「クレイジー呼ばわりしている。 しかしデイヴィッド母親であるリンダ・シャープは、デイヴィッド生存は彼自身責任だと考えており、他の登山家非難していない。リンダサンデー・タイムズに対して、「デイヴィッド岩陰見つかったわ。彼の姿を何人もの人が見たけど、死んでいると思ったの。ブライス隊のシェルパ1人デイヴィッド確認したら彼はまだ生きていた。でもシェルパデイヴィッド酸素与えようとしたけどもう手遅れだったわ。自分の命は自分で守らなきゃいけないの - 他人助けようなどとしてはならないのよ」。 これらの発言から詳細な状況浮かび上がってくる。2006年6月にはイングリスは、遭難した登山者がいることをブライス伝えた上で登攀続けるよう指示されたという自身主張撤回し高地での極限状況のせいで記憶不確かになっていたと述べたディスカバリーチャンネルドキュメンタリー番組エベレスト登頂極限への挑戦英語版)」の映像は、シャープ発見したのは下山中イングリス隊だけだったことを示している。イングリス隊のメンバー全員登攀中にシャープ発見したことを認めているが、登攀中にブライスシャープに関して連絡受けたとは認めていない。イングリス隊は下山途中シャープところに辿り着く頃までには、彼らの酸素が十分でなく非常に疲労して重症凍傷の者も何名かいることをBriceに連絡してあり、いかなる救助活動も非常に困難であることを伝えている。 ドキュメンタリー番組Dying For Everest」(Skyにて2009年4月20日放映)ではマーク・イングリスはこう述べている:「僕の記憶では、無線使った返事は、先へ進め助けられることは何もない、だった。それがラッセル・ブライスからの返事だったのか他の誰かだったのか分からない...あるいは...低酸素症..頭の中だけの出来事だったかも知れない」。ブライスはその晩無線通信多数受信しており(その多く他のメンバー聞いている)、完全なログ保存されている。マーク・イングリスからの通信一切記録されていない。隊は山頂向かって登り続けデイヴィッド・シャープの前を通り過ぎいかなる支援も行わなかった。デイヴィッド深刻な状態にあった下山時、岩を数時間後に再度通過した際には、デイヴィッド瀕死であることを隊は確認している。エドモンド・ヒラリー卿はマーク・イングリス態度を“いたたまれない”と表現した

※この「死をめぐる論議」の解説は、「デイヴィッド・シャープ」の解説の一部です。
「死をめぐる論議」を含む「デイヴィッド・シャープ」の記事については、「デイヴィッド・シャープ」の概要を参照ください。

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