武田勝頼の時代とは? わかりやすく解説

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武田勝頼の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:32 UTC 版)

真田昌幸」の記事における「武田勝頼の時代」の解説

元亀4年1573年4月信玄病死する家督継いだ武田勝頼仕えた天正2年1574年)には父・幸綱が死去する。この時、既に真田氏家督長兄真田信綱継いでいた。しかし天正3年1575年5月21日長篠の戦いで信綱と次兄昌輝討死したため、昌幸は真田氏復して家督相続した。これには武田家重臣川中島海津城主であった高坂昌信支援があったとされ、勝頼も昌幸の復姓家督相続認めたとされる。なお、昌幸も長篠合戦には参加していたが、勝頼旗本衆として参加していたため、戦死免れていた。なお、武藤家の家督武藤一族武藤常昭が継承した考えられており、武藤領と真田領を併せて相続したわけでは無かったようで、所領に関して一万五千貫ともいわれる真田領のみの相続であった家督相続後、昌幸は真田領の仕置のために在国し、あるいは勝頼への甲府出仕多かったとされ、本領甲斐往復する事を繰り返したようである。真田氏本拠の展開は戸石城中心とした一帯掌握したことを第一画期としており、居館としてはいるが、山城(詰の城)・寺院市町などはいずれ多元的家臣集住はほとんど見られないことから、昌幸の支配領域では兵農未分離のまま、在地中小領主層が戦国期以来郷村支配続けており、上田移住するまで昌幸は、小県郡西上野に独自の領域支配展開していくことになる。 天正6年1578年3月越後の上謙信死後御館の乱経て甲越同盟成立するが、この時の上杉景勝との交渉親族衆の武田信豊譜代家老小山田信茂・勝頼側近跡部勝資らが担当しており、昌幸は蚊帳の外置かれていた。この同盟成立により、天正7年1579年9月に昌幸は勝頼の命令北条氏政所領であった東上野沼田領へ侵攻した。昌幸は沼田衆を調略によって切り崩し叔父矢沢頼綱沼田城攻めさせ、一方で現在の利根郡みなかみ町にある名胡桃城鈴木重則小川城小川可遊斎を誘降させて両城手に入れた。そしてこれらを拠点にして沼田城攻撃したが、北条氏邦援軍駆け付けたために撤退した天正8年1580年)閏3月から沼田城攻撃再開し金子泰清藤田信吉らを投降させて5月沼田城開城させた。この時、同時に利根郡みなかみ町にあった猿ヶ京城攻め落とした同年武田信勝元服祝儀の名目喜兵衛尉を改め安房守の名乗り許された。この時点では、勝頼から与えられた私称である。これは、北条の上担当である藤田北条)氏邦が、安房守を受領名としていたことへの対抗である。 天正9年1581年)には、勝頼の命で新たに韮崎築城された新府城人夫動員通達している。新府城築城に関しては昌幸は作事奉行であったとする説もあるが、昌幸は麾下諸将人夫動員通達しているに過ぎず作事奉行であったとする見方を慎重視する説もある。同年、元沼田城主・沼田景義旧領奪回図ったが、昌幸は家臣金子泰清命じて景義を討ち取った天正10年1582年3月織田信長徳川家康連合軍による甲州征伐開始され本格的な武田領国への侵攻が行われた。なお江戸編纂文書拠れば、このとき昌幸は武田勝頼甲斐国捨てて上野国吾妻地方逃亡するように進言岩櫃城迎え準備をしていたが勝頼は郡内領主小山田信茂居城である岩殿城目指し落ちその結果途中で信茂の裏切りに遭って最期を遂げることになったと言われている。このような武田家への忠誠を示す逸話知られるが、一方で武田滅亡以前から北条氏邦徳川家康上杉景勝との接触を示す史料もあり、氏邦からは北条への降伏をするよう返信受けている。 武田氏滅亡後天正10年4月8日、昌幸は織田信長から、旧領のどの部分かは不明だ安堵をされ、織田政権組み込まれ織田氏重臣滝川一益与力武将となった。また沼田城には滝川益重入った。昌幸は次男信繁人質として滝川一益差し出した

※この「武田勝頼の時代」の解説は、「真田昌幸」の解説の一部です。
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