武田千代三郎の『十和田湖』
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「発荷峠」の記事における「武田千代三郎の『十和田湖』」の解説
武田千代三郎の『十和田湖』(1922年、大正11年)では、毛馬内から発荷峠まで自動車の便があり、大館市を経る観光客は近年この道を通るとしている。発荷峠から羊腸のような急坂を下ると約半里で湖畔の薄荷につく。武田は発荷峠の名の由来として、この付近に野生のハッカが多かったからだとするが、銀鉱山が盛んで銀をこの峠から輸送する際に、輸送量が多大なことを祝福し漢字を変えたとしている。当時は発荷峠は近くの鉛山峠とともに、分水嶺に達するまでは樹木が乏しく、峠を超えると初めて美林に入る。それは、小坂鉱山の煙毒のためで、このあたり数里に渡って樹木が生じないためだと記述している。
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