桂離宮の「発見者」とは? わかりやすく解説

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桂離宮の「発見者」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:03 UTC 版)

ブルーノ・タウト」の記事における「桂離宮の「発見者」」の解説

タウト自分日記1935年11月4日)に「私は桂離宮の『発見者』だと自負してよさそうだ」と書き残している。一般的にタウト初め桂離宮真価評価したと言われているが、事実とは異なっており、「伝説」しかないと言えるタウト著述に関してさまざまな誤解広まっていることは否定できない事実異なっている点は3つある。1つ目は、タウト以前にも桂離宮高評価した日本人それなりの数に達していたという点である。2つ目は、観光案内書の紹介大きさを見る限り桂離宮知名度タウト来日以前から一般的に高かった考えられる点である。3つ目は、専門家越えて一般大衆レベルにまで桂離宮モダニズム建築としての解釈浸透したのは、タウト滞日中の1930年代中期、あるいはその多く著書翻訳され出版され1940年代のことではなく1960年代以降とかなり遅くなってからのことである。 タウト以前桂離宮評価する日本人が全く、あるいはほとんどいなかったということはなく、むしろ専門家の間ではかなり早くから高く評価されていた。ただ、評価していたのは建築家ではない。明治・大正時代桂離宮研究・評価したのはもっぱら庭園関係者茶人だった。庭園という観点からの桂離宮評価だったからか、この時代建築家桂離宮にはあまり興味示さず建築家評価低かった。しかし、庭園関係者桂離宮絶賛していたのは確かである。 流れ変わったのは、昭和時代入ってからである。例えば、1928年昭和3年5月には桂離宮実測測量始まっている。また、1920年代半ばから世界的にモダニズム建築流行し日本でもその流れ乗った建築家の1群が現れた。桂離宮実際にデザイン凝った建築であり、モダニズムからは遠い要素多分に含んだ建物で、昭和以前は、そのように理解した論もそれなりに多かったものが、モダニズム流行し始めると、モダニストたちは桂離宮を、モダニズム建築という点を強調しモダニズム合わない部分無視して評価し始めようになった一方タウト桂離宮純粋なモダニズム建築としてから高評価したのではなくそれ以外要素多分に含まれていた。実際にタウト自身が、「「すべてすぐれた機能を持つものは、同時にその外観もまたすぐれている」という私の命題は、しばしば誤解された」と書いているように、タウト桂離宮評価は、かなり誤解され広まったと言える1929年岸田日出刀写真集過去構成』を著しその中で桂離宮モダニズム建築観点から激賞した。『過去構成』はモダニズム建築家や若い建築家の間で評判となった著書で、堀口捨巳丹下健三らがその内容誉めている。しかし、桂離宮評判専門家の狭い領域から出ることはなく、専門家集団の中で共有されただけだった。その点に関しては、タウト専門家領域越えて桂離宮価値広めた点は間違いがない。問題は、その広がった領域広がり方の程度である。 タウト滞日中、その著書読まれた層は一般大衆ではなく古美術や古建築専門とした読書人、あるいは読書人中心とした当時インテリ層であり(例え和辻哲郎のような建築を非専門とする人々)、社会全体からするとその数が多かったわけではないタウト喚起した桂離宮ブーム桂離宮「発見」というのはこうした読書界の人間意識変えた程度のもので、一般大衆までの広がり持った再認識ではなかった。ただ、彼らは出版メディア頻繁に登場したので、建築家よりも影響力強かったタウトがこれらの読書人大きな影響与えたのには、いくつかの理由あったらしい。1つには、タウト文章に腕の立つ建築家だったことがある例え堀口捨巳タウト文章力評価している。また、日本主義日本精神という言葉流行したように、ナショナリズム高揚していた1930年代にあって日本文化称揚する西洋人現れた事は、彼らにとって心地よいことだったこともあるらしい。特にタウト国際的に知名度のある西洋人だった点は大きかった。 もう1点は、タウト日本文化称賛論理が、ステレオタイプ化した日本文化論同一のものとして理解された点にあったようである。タウト日本文化賞揚した文脈は、明治中期から既に日本国内流通していた日本人論日本文化論ステレオタイプ化した論理と必ずしも同じだったわけではなく、そこからのずれを多分に持っていたが、実際には、タウトは、ステレオタイプ化した日本人論日本文化論繰り返したものとして受容された。

※この「桂離宮の「発見者」」の解説は、「ブルーノ・タウト」の解説の一部です。
「桂離宮の「発見者」」を含む「ブルーノ・タウト」の記事については、「ブルーノ・タウト」の概要を参照ください。

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