東武のバス事業進出と戦時統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:08 UTC 版)
「東武バス」の記事における「東武のバス事業進出と戦時統合」の解説
1933年(昭和8年)10月26日:栄自動車が丸三自動車(野田町)と、柏 - 野田間の乗合自動車免許をめぐり競願となる。 10月27日:東武鉄道の傍系会社として毛武自動車を設立。桐生 - 足利、太田 - 熊谷、太田 - 桐生、境町 - 深谷で乗合自動車事業を開始。 1934年(昭和9年)4月1日:東武鉄道直営の乗合自動車事業を川越地区で開始する。越生自動車線(川越西町 - 梅園)、川越市街自動車線(川越西町 - 神明町)、高坂線(川越西町 - 高坂)の3路線。 8月20日:東武鉄道、成増 - 川越間の路線譲受の認可を受ける(同年10月1日に運行開始)。 10月30日:毛武自動車が、両毛回進社(桐生 - 新桐生ほか)、東毛自動車(足利 - 小泉、太田 - 小泉ほか)を合併する。 12月24日:毛武自動車が、杉戸 - 幸手間で運輸事業譲受の認可を受ける。 1935年(昭和10年)1月12日:毛武自動車が、毛武遊覧自動車を合併する。 3月25日:毛武自動車が、越生 - 黒山間の路線譲受の認可を受ける(8月12日に営業開始)。 5月27日:毛武自動車が、千住 - 草加間の路線譲受の認可を受ける(6月8日に営業開始)。 同年、栄自動車が、柏 - 松戸間、柏 - 増尾間で運行開始。 1936年(昭和11年)3月20日:栄自動車が、総武鉄道(現:東武野田線)に乗合自動車の営業権を6万円で譲渡する。譲渡された路線は、柏 - 流山、柏 - 運河(水堰橋)、柏 - 松戸、柏 - 大井、柏 - 増尾、我孫子 - 木下、我孫子 - 布施。これにより総武鉄道が乗合自動車事業へ進出。 5月1日:毛武自動車が、粕壁 - 白岡間の路線譲受の認可を受ける(5月20日に営業開始)。 5月16日:毛武自動車が、坂戸 - 玉川間の路線譲受の認可を受ける(6月15日に営業開始)。 7月17日:毛武自動車が、葛生 - 秋山間の路線譲受の認可を受ける(9月25日に営業開始)。 8月10日:総武バスが、野田 - 水堰橋間を開業し、柏 - 野田間の運行を開始する。 9月8日:毛武自動車が東武自動車へ社名変更。翌9月9日、小川町 - 飯能間の路線譲受の認可を受ける。 1937年(昭和12年)1月13日:東武自動車が、奥日光自動車(沼田 - 丸沼ほか)、赤城山自動車(桐生 - 大間々ほか)を合併する。 1月26日:東武自動車が、埼玉県草加町 - 八条村大字八条間の路線譲受の認可を受ける。 5月7日:東武自動車が、野州自動車合資会社(栃木 - 小山ほか)を合併することを決議。 9月7日:東武自動車が、桐生市街自動車(桐生~川内・大間々ほか)を合併することを決議。 9月8日:東武自動車が、草加 - 幸の宮間で運行開始。 9月30日:東武自動車が、坂東自動車(沼田 - 湯檜曽ほか)を合併する。 10月20日:東武自動車が、杉戸 - 粕壁間の路線譲受の認可を受ける。 12月10日:総武バスがガソリン節約のため、柏 - 野田間を減便する。 1938年(昭和13年)2月:総武バス、豊四季駅 - 飛行場(十余二)- 根戸 - 柏間の循環バスの路線認可を申請する。 4月2日:陸上交通事業調整法が公布(同年8月施行)。 5月1日:東武自動車がガソリン規制のため、一部路線を運行休止する。 1939年(昭和14年)2月:総武バスが、柏 - 根戸 - 花野井 - 若柴 - 十余二 - 豊四季 - 柏間の循環バスの路線認可を申請する。 4月:総武バスが、柏 - 豊四季 - 高田原 - 根戸 - 柏間、新川村南 - 高田原間の路線免許を申請する。 5月10日:東武自動車が、埼玉自動車(熊谷 - 小川町、熊谷 - 深谷、熊谷 - 川越、松山 - 出丸中郷、川越 - 鴻巣、熊谷 - 鴻巣、熊谷 - 葛和田、熊谷 - 星宮 -行田)を合併する。 5月12日東武自動車が、京水モーターバス(南千住 - 西新井、南千住 - 堀切)を合併する。 東武自動車が、英自動車(久下田 - 小金井、下館 - 小栗、下館 - 真岡)を合併する。 東武自動車が、ミクニ自動車(結城 - 船玉 - 下館)を買収する。 6月1日:東武鉄道直営の乗合自動車事業を、東武自動車へ譲渡する。これにより傍系会社の東武自動車(旧:毛武自動車)と東武鉄道直営に分かれていた東武の乗合自動車事業が統合・一本化される。 1940年(昭和15年)1月31日:陸運統制令が公布(2月25日施行)。 4月:総武バスが、松戸 - 柏間の路線を休止。 5月20日:総武バスが、新川村南 - 豊四季間、花野井 - 十余二間の路線認可を受ける。 6月:総武バスが、豊四季 - 恩田部隊、豊四季 - 水島部隊間の運行を開始。 1941年(昭和16年)1月11日:朝日自動車が設立される。 4月28日:総武バスが、柏 - 増尾間、柏 - 大井間の運行休止の許可を受ける。さらに、7月15日には豊四季~流山間、9月9日には野田 - 船戸間の運行休止の許可を受ける。 10月1日:戦局激化により、乗合自動車のガソリン使用が全面禁止となる。 1942年(昭和17年)1月9日:東武自動車が、伊香保温泉自動車(渋川 - 伊香保、伊香保 - 水沢)を合併する(社史) 1943年(昭和18年)11月25日:東武自動車が、茨城急行自動車(境 - 杉戸など)、上武自動車(本庄 - 鬼石、深谷 - 寄居ほか)、群馬自動車(渋川 - 中之条など)を合併する。 12月13日:東武自動車が、菖蒲倉庫(川越 - 桶川)を買収する。 12月29日:東武自動車が、行田自動車(行田 - 吹上など)を買収。越沼茂安(個人)から、粕壁 - 越谷、粕壁 - 宝珠花、粕壁~関宿間の路線を買収する。 1944年(昭和19年)3月1日:東武鉄道が、総武鉄道を合併する。これにより、総武鉄道の以下の路線が東武鉄道の路線となる。越谷 - 早稲田 - 金町、越谷 - 彦成 - 金町、草加 - 鳩ヶ谷、安行 - 竹の塚、野田 - 関宿、岩井 - 小山渡船場、野田 - 松戸、野田 - 越谷、野田 - 柏、野田市内、柏 - 手賀、柏 - 布施、柏 - 増尾(休止中)、柏 - 松戸(休止中)、岩槻 - 越谷、大宮 - 粕壁、岩槻 - 岡泉、大宮 - 浦和、県庁 - 浦和、大宮 - 原市、大宮 - 公園 - 大宮、大宮 - 桜木町、大宮 - 上落合。 9月16日:総武鉄道から継承した乗合自動車事業を、東武鉄道が東武自動車へ譲渡する。 1945年(昭和20年)2月9日:東武自動車が、花畑乗合自動車株式会社(松戸 - 花畑、草加 - 花畑、亀有 - 戸ヶ崎 - 草加、北千住 - 大谷田、花畑 - 北千住)を合併する。 8月15日:終戦を迎える。
※この「東武のバス事業進出と戦時統合」の解説は、「東武バス」の解説の一部です。
「東武のバス事業進出と戦時統合」を含む「東武バス」の記事については、「東武バス」の概要を参照ください。
- 東武のバス事業進出と戦時統合のページへのリンク